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溝部武夫[みぞべ たけお]
溝部 武夫(みぞべ たけお、1917年6月23日 - )は、奈良県出身のプロ野球選手(投手)。旧名は中田 武夫(なかた たけお)。右投げ右打ち。 == 来歴・人物 == 旧制郡山中学(現:奈良県立郡山高等学校)で、1933年の夏の甲子園に奈良県勢初の代表として出場した。アンダースローの投手であった。 1937年に阪急軍に入団。しかし、翌年に召集される。1941年に復帰した後、1944年に再び召集される。終戦後、再び復帰する。しかし、戦争の影響からかあまり活躍できなかった。1947年4月20日の大阪タイガース戦で、4連続押し出し四球の日本記録を残してしまった〔3連続押し出しはセ史上7人目ワーストタイ [ 2014年8月25日 07:39 ] - 『スポーツニッポン』〕。また、連続を考慮しない1イニングの押し出し四球数でも日本タイ記録である〔1イニング4押し出し…五十嵐が60年ぶり屈辱、チームでは初 [ 2014年9月26日 07:36 ] - 『スポーツニッポン』〕。同年オフに大阪に移籍したが、以降も精彩を欠き、1年で退団した。 その後社会人野球の京都大丸に所属した。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「溝部武夫」の詳細全文を読む
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