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中田翔 : ウィキペディア日本語版
中田翔[なかた しょう]

中田 翔(なかた しょう、1989年4月22日 - )は、北海道日本ハムファイターズに所属するプロ野球選手外野手内野手)。
== 経歴 ==

=== プロ入り前 ===
広島市立竹屋小学校3年から広島鯉城リトルで捕手として野球を始める〔中田 翔 - スポニチ Sponichi Annex 〕〔中田翔特集 : nikkansports.com - 日刊スポーツ 〕。二学年上の松下建太とバッテリーを組んでいた時期もある〔SPORTS COMMUNICATIONS - 埼玉西武5位・松下建太 〕。6年時に投手に転向。広島鯉城シニア時代は連盟記録となる通算51本塁打広島市立国泰寺中学校3年時に鯉城シニアで日本代表入り。エースで4番を務め、アメリカ遠征で4本塁打を打ちMVPに、世界大会準優勝の原動力となる〔。投手としても141km/hを計測した。広島で過ごした少年時代は、当時の広島市民球場でプロ野球選手になる夢を抱いた広島東洋カープファンだった。
中学時代に大阪桐蔭高校西谷浩一監督に入学を誘われ〔大阪桐蔭・西谷浩一編(7) 「打倒PL学園」めざし監督兼GM兼スカウト (1/2ページ) 〕、同校に進学。中田が活躍したことで大阪桐蔭は大阪だけでなく、各地の有力選手が集まるようになった〔「絶対に敵に回したくない」藤浪も嫌がる大阪桐蔭打線 - スポニチ 〕。1年夏には5番・一塁手でレギュラーとなり、2005年の夏の甲子園ベスト4に貢献、また投手としても最速147km/hを計測〔。秋からはエースで4番を任され、岡田雅利とバッテリーを組んだ。2年春には151km/hまで球速が伸びた。肩の故障で投手としては活躍が出来なかったが、四番・右翼手として出場し、打者として大阪大会新記録となる4試合連続本塁打、甲子園では推定飛距離140メートル弾、更に秋季近畿大会準決勝の市川高校戦 (和歌山県営紀三井寺野球場)で推定飛距離170メートルの本塁打を打つ〔〔。この頃から「平成の怪物」と呼ばれるようになる。3年生時の7月6日全国高校野球大阪大会直前の練習試合・生野工業高校戦にて当時の高校通算本塁打の新記録となる87本目の本塁打を記録〔。大阪大会の決勝ではエースの植松優友を擁する金光大阪高校と対戦し、投手としては初回に3失点、打撃でも厳しいマークに遭い5打数無安打で、チームは敗戦して甲子園出場を逃した。この大会では本塁打は打てなかった。高校通算87本塁打、甲子園でも歴代7位となる4本塁打を打った。
10月3日プロ野球ドラフト会議(高校生対象)においては、佐藤由規唐川侑己と並んで「高校ビッグ3」と呼ばれ、北海道日本ハムファイターズ阪神タイガースオリックス・バファローズ福岡ソフトバンクホークスの4球団から1位指名を受けて、抽選で交渉権を獲得した日本ハムに入団。同年11月6日、高卒新人としては史上5人目となる契約金1億円、出来高5000万円、年俸1500万円(推定)で契約。背番号は同年オフに現役引退した田中幸雄の「6」を引き継いだ。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「中田翔」の詳細全文を読む



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