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中畠晴辰[なかはた はるとき] 中畠 晴辰(なかはた はるとき、生年不詳 - 天正18年(1590年))は戦国時代の武将で、白河結城氏の家臣。中畠晴常の嫡男で、中畠晴時の兄。上野介。 晴辰ははじめ国神城を居城としたが、後に山城の必要性から隈井城(観音山館)を築城しそこに移り住んだ。その後、1583年に三城目城(永禄年間に城主の伊藤祐勝を追って支配下に治めていた)に移住し、隈井城は弟の晴時に与えた。 天正16年(1588年)には、辺見主膳正の居館の泉崎館を、跡継ぎ問題の内紛が起きたのに乗じて攻略した。 天正18年(1590年)の小田原征伐において義親に参陣するように進言したが、財政難を理由に受け容れられなかった。義親の小田原不参陣により晴辰は追放となり、旧縁を頼って相馬氏のもとへ落ち延びようとするが、その途上の三春の行合村で落ち武者狩りの浪人・農民らに討ち取られた。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「中畠晴辰」の詳細全文を読む
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