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中畠晴常 : ウィキペディア日本語版
中畠晴常[なかはた はるつね]
中畠 晴常(なかはた はるつね、生没年不詳)は戦国時代の武将で、白河結城氏の家臣。結城晴綱の庶長子で、中畠晴辰中畠晴時の父。結城義顕の兄。上野介。
中畠氏は、三芦城石川氏の一族で、15代当主石川詮持の甥の石川光幹が国神城を築城し中畠氏を称したという。石川氏の勢力が衰退すると、中畠氏は白河氏の支配下に組み込まれた。
晴綱の長男だが庶出だったため母方の中畠氏を相続し、国神城に入った。
1575年小峰義親が義顕を追放し白河城を占拠した際、晴常も晴綱の後継者の資格があったために晴常を推す家臣も多数存在し、義親派家臣団と深刻な対立を呈したという。
佐竹義重はこの混乱に乗じて、白河城に攻め寄せて義親を捕らえ、以後白河結城氏は佐竹氏に従属する形となった。しかし、その後も白河氏の抵抗は続き、1579年に佐竹義重の次男義広が義親の養子になることで白河領内は落ち着いた。晴常のその後は不明であり、早々に死没したか、隠居して嫡男・晴辰に家督を譲ったものと思われる。



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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