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中能島欣一[なかのしま きんいち] 中能島 欣一(なかのしま きんいち、1904年12月16日 - 1984年3月19日)は日本の箏曲家である。作曲家。山田流箏曲中能島家の4代目。重要無形文化財保持者に各個認定されている(人間国宝)。 == 来歴・人物 == 中能島派の初代中能島松声の長男孝太郎(尺八家・搭童)の次男。母は中能島喜久(二代目中能島松雄は初代より早世し、初代没後、家元を預かる。三代目中能島松仙は芸養子)。 東京生まれ。母に箏曲を学ぶ。1914年、母没後、初代丸田島能に琴・三絃を、1916年より杵屋六左栄に長唄を学ぶ。1919年、東京本所高等小学校卒業、三代目中能島松仙に師事、都一花に一中節を学ぶ。1920年、杵屋勝太郎に師事、1926年、東洋音楽学校に学ぶ。1928年、松仙死後中能島四世を継ぐ。1930年、山田流箏曲協会理事。1937年、東京音楽学校邦楽科教授。1950年、東京芸術大学教授、1954年、芸術祭文部大臣賞受賞、1959年、日本芸術院賞受賞、1961年、日本芸術院会員。1972年、芸大名誉教授、1973年、山田流箏曲協会会長、1975年、勲三等旭日中綬章受章。芸術院第三部長。1977年、放送文化賞受賞。1983年、文化功労者。1984年、叙正四位、叙勲二等授瑞宝章。 代表的な作品に『三つの断章』『さらし幻想曲』など。生涯を通じ楽曲構造のマンネリ化した古典箏曲の改革を試み、西洋音楽に強く感化された現代邦楽の作曲家として優れた作品を多く残した。評論家の山根銀二は、「邦楽には絶えざる進歩が必要で、それを目指す仕事も今日では数多くなりましたが、中能島さんの業績はそのなかの最もすぐれたもの」と称え、また彼の作品集の発売を、「邦楽だけでなく広く日本の音楽界全体の歴史的事件」とその意義を強調した(『中能島欣一作品集』(昭和39年・ビクター・SJ-30081~3)解説書)。作曲だけでなく古典曲の演奏においても一つの規範として評価されるなど、生前は箏曲界を大きく代表した。欣一が東京芸術大学で箏演奏を指導した人々には鳥居名美野や西潟昭子、亀山香能、川村京子などがいる。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「中能島欣一」の詳細全文を読む
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