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中臣 御食子(なかとみ の みけこ、生没年不詳)は、飛鳥時代の貴族。名は彌気、美気古とも記される。中臣可多能祜の長男。冠位は小徳冠。中臣氏第一門の祖。 == 経歴 == 推古天皇36年(628年)に推古天皇が崩御した際、蘇我蝦夷や阿倍内麻呂と組して次期天皇に田村皇子(のちの舒明天皇)を推挙し、事態を収めた〔『日本書紀』には、御食子の言動のみが記載されている。〕。 その他の業績については不明であるが、皇極天皇3年(644年)に息子の鎌足が神祇伯への就任を辞退しているため、御食子も生前同職に就いていたのではないか、とされている。また、鹿島神宮の神官として東国に赴任していた可能性もある。〔鎌足は常陸国出身であるとされている。〕 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「中臣御食子」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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