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中臣逸志[なかとみ の いちし] 中臣 逸志(なかとみ の いちし、延暦13年(794年) - 貞観9年1月24日(867年3月4日))は、平安時代前期の貴族。名は壱志とも記される。中臣糠手子の子孫(三門)。伊賀守・中臣益継の子。官位は従四位上・神祇伯。 == 経歴 == 平安京の左京出身。承和3年(836年)内蔵少允に任ぜられると、同大允・助と内蔵寮官人を歴任し、承和15年(848年)内蔵頭に至る。この間の承和11年(844年)従五位下に叙爵している。 嘉承2年(849年)神祇権少副、嘉承3年(850年)神祇大副、貞観2年(860年)神祇伯と、仁明朝末以降は内蔵頭に神祇省官人も兼ね、各地の神社へしばしば派遣されている。また、この間に仁寿元年(851年)従五位上、貞観元年(859年)正五位下、貞観5年(863年)従四位下、貞観9年(867年)従四位上と清和朝において順調に昇進した。貞観9年(867年)1月24日卒去。享年74。最終官位は従四位上行神祇伯。
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