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中華人民共和国主席(ちゅうかじんみんきょうわこくしゅせき、、)は、中華人民共和国の国家元首。他の主席職と区別するために国家主席と呼ばれることが多い。英語での表記は「President of the People's Republic of China」であり、大統領に相当する〔1949年から1975年までの英語表記は「Chairman of the People's Republic of China」だったが、1982年よりchairmanからpresidentに変更された。〕。 == 概要 == 1949年10月1日の中華人民共和国建国の当初、国家元首の職権を行使したのは中央人民政府委員会であった〔江(2012年6月)、144ページ。〕。同委員会は、対外的には中国を代表し、対内的に国家政権を指導する機関と定められ(中華人民共和國中央人民政府組織法第4条)、条約の批准や政務院総理の任免、大赦・特赦の発布、などの権限を有した(組織法第7条)。 9月30日の中国人民政治協商会議第1回全体会議において毛沢東が中央人民政府主席に選出され〔「中国人民政协第一届全体会议胜利闭幕 毛泽东当选中央人民政府主席 朱德刘少奇宋庆龄李济深张澜高岗当选副主席 中央人民政府委员会委员五十六人亦已选出 」『人民日報』1949年10月1日第1版〕〔第一届政协大事记1949年 〕、翌10月1日に就任した〔。中央人民政府主席の権限は「中央人民政府委員会の会議を主宰し、併せて中央人民政府委員会の活動を指導する」(組織法第8条)と定められていた。 1954年9月20日、中華人民共和国憲法が制定され、国家元首として中華人民共和国主席が設置された。9月27日、毛沢東が改めて初代国家主席に就任した。 毛沢東や劉少奇の時代の国家主席は、国政の最高責任者として位置づけられていた。しかし、文化大革命において現職国家主席である劉少奇が打倒の目標とされ、中国共産党内外からの非難と糾弾の末に解任された。それ以降、国家主席は空位となり、国家副主席が職務を代行した。1970年3月に毛沢東が国家主席の廃止を提案し、1975年1月の憲法改正によって国家主席は廃止された。 国家主席廃止後、その職権は中国共産党中央委員会主席と全国人民代表大会常務委員会に委譲され〔1975年の憲法改正では、中国共産党中央委員会主席が軍の統帥権を保有し、国務院総理以下、国務院の構成員の任免を決定すること、全人代常務委員会が外交使節の接受、海外駐在全権代表の派遣・召還、条約の批准および廃棄などを行うことが規定された。〕、全人代常務委員会が集団で元首機能を有した。1978年の憲法改正では、全人代常務委員長が法律の公布や国家の栄誉称号の授与を行い、対外的な元首機能を行使することが定められた。 鄧小平時代の1982年に制定された憲法によって、国家主席は儀礼的国家元首として再設置された。再設置当初の国家主席は、全人代常務委員長や全国政治協商会議主席と同様に、かつて鄧小平の同輩であった中国共産党・中国人民解放軍の長老を礼遇するための名誉職として用いられた。しかし、1989年の第二次天安門事件に際して党内の対応が分裂したとき、楊尚昆が国家主席の権限において戒厳令を発動させたことは、政局に大きな影響を与えた。 1993年に楊尚昆が退任すると、中国共産党中央委員会総書記兼中央軍事委員会主席の江沢民が国家主席に就任した。それ以降、中国共産党の最高指導者が総書記・国家主席・中央軍事委員会主席を兼任して党・国家・軍のトップを独占し、権力を集中する状況が続いている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「中華人民共和国主席」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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