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中華共和国(ちゅうかきょうわこく)は、1933年に発生した福建事変(閩変)の際に、陳銘枢、李済深及びに十九路軍によって、福州で樹立された政権の名称。1933年11月22日に正式な成立を果たしたが、1934年1月13日に国民政府の中央軍が福州へ侵攻したため、政権の維持はわずか50数日であった。 == 国民革命軍十九路軍 == 中華共和国を成立させた国民革命軍十九路軍の前身は広東軍第一師団である。1926年、広東軍第一師団は国民革命第四軍に改編され李済深が軍長に任命された。北伐の過程で第四軍は大きな戦果を上げ、陳銘枢が師団長に任じられていた第十師は第十一軍に改編されている。 1930年の中原大戦に第十一軍が参加し馮玉祥及び閻錫山を撃破した。その後第十一軍は十九路軍と改編され、蒋光鼐を総指揮、蔡廷鍇を軍長とする」体制が確立された。十九路軍はその後第3次囲剿紅軍の作戦に参加している。 1931年に満州事変が勃発すると十九路軍は上海防衛を任務とされた。この時期対日方針を巡って内部対立が続いており、蒋介石が下野すると南京政府は広東派系による運営が始まる。1932年の第一次上海事変では十九路軍の抵抗が行われ、国際都市である上海における戦闘は国際社会において中国同情論を惹起している。その後軍事的指導者不在の南京政府は再度蒋介石体制を確立、これらの日本軍との衝突は外交交渉の結果塘沽停戦協定による外交解決が図られた。 事件後上海を離れた十九路軍は福建地区での共産党勢力討伐作戦に従事している。当初は順調に進捗したこの作戦も彭徳懐軍との戦闘に敗北して後膠着状態が続く。蔡廷鍇等は共産党との和解交渉により停戦した。 この時期陳銘枢がヨーロッパより帰国すると6月に桂系の李宗仁、陳済棠等と連絡を取り「人民政府」を成立させ南京国民政府に対抗する提案を行うが、両者はこれに賛同していない。しかし蒋介石がこの情報を入手するに至り、政変への準備が急速に進められた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「中華共和国」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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