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台湾省(たいわんしょう)は、中華民国の省の一つ。福建省と台湾海峡を隔てた場所に位置する台湾島の一部と周辺島嶼、澎湖諸島を領域とする。中華民国政府の実効支配地域(中華民国自由地区)の大多数を占めるが、自由地区には福建省の金馬地区(金門県・連江県)も含まれる上、台湾島内の台北市、新北市、桃園市、台中市、台南市および高雄市も直轄市で台湾省の管轄外にある。そのため、台湾省と「政治実体としての台湾」(自由地区)とは一致せず、自由地区を指す場合は主に台湾地区と表記される。 1945年の省政府設置以降は、中国国民党が政権を握る台湾国民政府下で一党独裁の統治を行なわれ、地方自治行政は有名無実化していた。1990年代になると政治の民主化が進んだが、同時に中央政府の行政効率化も進められ、1998年以降は地方自治体としての機能を「凍結」(中央政府の出先機関に組み込み)させられている。 1949年以降、中国大陸を統治する中華人民共和国政府も台湾省の領有権を主張しており、並存する二つの「中国」政府が互いに台湾省の領有を主張するという政治問題(台湾問題)を生み出している。 == 省設置の経緯 == 当初、台湾と澎湖諸島の行政区分は歴史的に福建省とされていたが、19世紀後半になると清朝は日本などに対する国防上の観点から台湾の必要性を認識し、1885年に台湾省を台湾に新設した。しかし、1895年に日清戦争で清が日本に敗北すると、下関条約によって清朝は台湾と澎湖諸島を日本に割譲することが取り組められ、台湾省は設置からわずか10年で廃止された。その後、日本政府は台湾を台湾総督府の統治下に置いたが、1945年に日本が第二次世界大戦に敗北したことによって、台湾は連合軍の委託を受けて台湾に進駐してきた中華民国軍の統治下に入り、50年にわたる台湾総督府の統治が終焉した。 台湾に軍を進駐させた中華民国・南京国民政府は、1943年のカイロ宣言における取り決めを基にして台湾を自国領に編入し、台湾行政長官公署を設置して統治に当たらせていた。しかし、行政長官公署の統治に対して台湾住民は反発を募らせていき、1947年には 二・二八事件が勃発するまでになった。その為、中華民国政府は事件鎮圧後に行政長官公署を廃止し、1947年5月17日に台湾省を設置することで台湾の統治体制をより強固なものとしていった。だが、 国共内戦における中華民国軍の敗北によって、 1949年10月1日に中国共産党が中華人民共和国政府を建国すると、南京国民政府は中央政府機構を同年12月に全て台湾島へ移して共産党との内戦を続け、同時に冷戦における共産主義の防波堤という役割も果たしていった。 なお、一方の中華人民共和国における建国後の台湾省の扱いについては、台湾省 (中華人民共和国)に記載されているので、そちらを参照のこと。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「台湾省」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Taiwan Province 」があります。 スポンサード リンク
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