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中 裕司(なか ゆうじ、1965年9月17日 - )は、大阪府枚方市出身のゲームクリエイター。株式会社プロペ代表取締役社長。『ソニックシリーズ』と『ファンタシースターオンライン』の生みの親。大阪府立西野田工業高等学校電気科卒業。 == 概要 == 1984年、セガ(後のセガゲームス)入社。当初はゲームプログラマとして活躍し、その後ゲームプロデューサーとしてソニックチームを率い、のちにソニックチーム分社化により代表となった。セガR&Dクリエイティブオフィサー(役員)となる。 2006年5月23日、セガのゲームクリエイター独立支援プログラムを受け、株式会社プロペを設立し、代表取締役社長に就任した。資本金は1,000万円でセガの出資比率は10%。社名である“PROPE”とはラテン語で「すぐそばに/近い将来に」という意味であり、「ゲームエンターテインメントをもっと身近に。消費者と自分たちがより親密に。未来へ向けたエンターテインメントの創造」という想いが込められている。〔出典:株式会社PROPEウェブサイト-会社概要(閲覧月日2010年10月13日) 〕 直接たずさわった初期の頃の作品ではプログラマーとして参加、スタッフロールのクレジットには裕司の名前をもじった「YU2」と表示されている(中裕司と同じくセガのプログラマーの鈴木裕の、2人の「裕」から由来しているという説もある)。入社してすぐに制作した作品は『ガールズガーデン』(SG-1000)。新人研修用で制作した作品だが完成度が高いため、製品化される。 また、当時サードパーティ向けのハードウェア仕様書などが不十分であった事から、外部製作ソフトの開発支援なども担当していた。 セガ・マークIIIの初期の名作として名高い『北斗の拳』や、ワイヤーフレームやポリゴンを用いずに3Dダンジョンを滑らかに動かした『ファンタシースター』等でメインプログラムを担当。完成度の高いゲームの土台を作り上げ、ゲーム業界の間では天才プログラマと評される。 代表作はメガドライブ用(ジェネシス用)『ソニック・ザ・ヘッジホッグ』。同作は欧米において『スーパーマリオブラザーズ』を上回る人気を得た。また、中は開発当初より同作を指して「ポストスーパーマリオブラザーズ」とコメントしており、結果的に有言実行を果たしたと言える。また、『ソニック』の開発中にはプログラマーのマーク・サーニーと技術的な論議を交わしている。 メインプログラマーとしてはクリスマスナイツまで活躍。『ソニックシリーズ』以降近年はプロデューサー的な立場として作品に関わる事が多い。たびたびユーザーから過去の作品の移植や続編を希望する声があるが、本人は「オリジナル作品を作りたい」としている〔http://prope.jp/boshu_qa.html〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「中裕司」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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