|
中西 健太(なかにし けんた、1986年4月10日 - )は、滋賀県八日市市(現:東近江市)出身の元プロ野球選手(外野手)。 == 来歴・人物 == 小学校3年生から6年生まで滋賀県東近江市の玉緒レッドスターズに所属。中学では同県日野町にあるボーイズ、近江ボーイズに所属。 北大津高では1年生から正捕手としマスクを被り、3年夏に主将として母校を甲子園(86回大会)初出場に導く。1回戦でダルビッシュ有擁する東北高と対戦し0-13と力負けしたが、自身はダルビッシュから2安打するなど一人気を吐いた。50メートル6.0秒、遠投100メートルと高い身体能力を誇り、高校通算42本塁打。 2004年のドラフト4巡指名を受け、福岡ダイエーホークスに入団。 にはハワイ・ウィンターリーグに江川智晃とともに派遣された。 、打力を生かすため捕手から外野手に転向した。外野手転向後は二軍で高い打率を残し、5月28日に初の一軍昇格を果たす。6月3日の対東京ヤクルトスワローズ戦では、村中恭兵から第1打席で初安打、第2打席で初本塁打を記録した。第3打席でも適時二塁打を放ち、初猛打賞。その後も下位打線で一軍出場を続け、出塁率、長打率ともにチーム内では上位に入った。 、6安打(全て単打)に終わった。は一軍出場なし。、外野手登録から捕手登録へ戻った。埼玉西武ライオンズの細川亨のFA移籍に伴い、背番号を31に変更。からは背番号を58に変更するとともに、再び外野手として登録された。 には、ウエスタン・リーグで公式戦93試合に出場。打撃面では、打率.323、101安打、9本塁打、出塁率.417という好成績で、同リーグの首位打者および安打数・出塁率1位になった。一軍には4月と7月に2度昇格したものの、公式戦には6試合の出場で打率.125、1安打、0本塁打と低迷。シーズン終了後にはフェニックス・リーグへ参加していたものの、10月26日に球団から戦力外通告を受けた。9年間のプロ野球生活を幕を閉じた。〔来季契約について ソフトバンク球団公式サイト2013年10月26日配信〕今後は「スポーツオーソリティ」の上大岡店など県内3店舗で働きながら、会社が企画する野球教室などで普及活動にも携わる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「中西健太」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|