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中西勝彦 : ウィキペディア日本語版
中西勝己[なかにし かつみ]

中西 勝己(なかにし かつみ、本名:中西 勝彦(なかにし かつひこ)、1935年4月6日 - 2009年3月29日)は、大阪府出身のプロ野球選手投手)。
コーチ時代には「邦之」(くにゆき)と登録名を改名していた時期がある。
== 来歴・人物 ==
市岡高校から関西大へ進学。2年秋まで関西六大学リーグで通算23試合に登板し10勝3敗。1956年に大学を中退して毎日オリオンズに入団。デビュー戦でいきなり新人で初先発し初完封勝利。この年は8勝ながら5度の完封勝利を記録している。翌年は小野正一に次ぐ29試合に先発し13勝。1959年にも12勝、1960年には自己最高の16勝をあげる。
大洋ホエールズとの1960年の日本シリーズでは第1戦に先発、完投するが0-1で惜敗。第3戦では同点の9回に登板するが、近藤昭仁に決勝本塁打を喫する。第4戦では7回からリリーフに立ち、以降を無失点に抑えるが、この試合も0-1で敗れ、日本一はならなかった。
1965年に引退後は、ロッテ(1971年1973年)、近鉄1974年1985年)、南海・ダイエー1986年1990年)で投手コーチを努めた。
3月29日22時5分、胃がんのため死去。73歳没〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「中西勝己」の詳細全文を読む



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