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中西君尾[なかにし きみお] 中西 君尾(なかにし きみお、1844年(弘化元年)- 1918年(大正7年)2月17日)は祇園の芸妓で本名はきみ。祇園一の美貌を誇った勤王芸者。 == 生涯 == 彼女は新撰組や幕末の志士らと交わした。当時、縄手通にあったお茶屋『魚品』(うおしな、後に切通しに移転し、現存せず)で高杉晋作を介して井上馨と出会い、彼が命を狙われていたとき、自分の身代わりとして鏡を渡したといわれる。案の定、井上はそれに助けられたのである。 彼女も桂小五郎、品川弥二郎らを助けたりして命を狙われ、新撰組に捕らえられた事がある。しかし、近藤勇によって助けられたことが何回もあり、一力のお座敷で会い口説かれた際「禁裏様のために尽してくださるお方でなければいや」と突っぱねている。 君尾は品川との間に子供をもうけ、その後も祇園で芸妓を続けて大正7年(1918年)に亡くなっている。「白梅でちよと一杯死出の旅」という辞世の句を残している。墓所は京都市左京区の超勝寺にある。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「中西君尾」の詳細全文を読む
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