|
中西 悟堂(なかにし ごどう、1895年(明治28年)11月16日 - 1984年(昭和59年)12月11日)は、野鳥研究家で歌人・詩人。文化功労者。天台宗僧侶。日本野鳥の会の創立者。本名は富嗣、悟堂は法名。他に筆名として赤吉(しゃくきち)。 「野の鳥は野に」を標語に自然環境の中で鳥を愛で、保護する運動を起こした。「野鳥」や「探鳥」は悟堂の造語。 == 生涯 == === 幼少・青年期 === 1895年(明治28年)、石川県金沢市の長町に生まれ、富嗣と命名される。祖父は加賀藩士〔井口哲郎、日本ペンクラブ、Jan. 23, 2002〕。父親は海軍軍楽隊教官だったが、悟堂の生後まもなく病死し、母は実家に帰ったまま行方不明となり、父の兄である伯父・悟玄の養子となる〔。 1900年、5歳で麻生区飯倉町の小暮小学校に入学〔(同小学校は江戸時代の寺子屋から続く伝統ある私立校〔創立80年の小学校 新聞集成明治編年史第十三卷、林泉社、1936-1940〕)。 1907年(明治40年)、養父と祖母とともに神代村(現在の東京都調布市)の祇園寺に移住。 1911年(明治44年)、天台宗深大寺にて僧籍につく。悟堂はこの時の法名。翌年、天台宗学林(後の大正大学)2年に入る。この頃より短歌を始め、次第に詩人と交わるようになり、その関心は短歌から詩へ移る。 その後、曹洞宗学林(後の駒澤大学)にも通い、放浪したり僧務をこなしつつ詩壇に入り、1922年(大正11年)、第一詩集『東京市』を出版。その後詩集『花順礼』、『武蔵野』を出版。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「中西悟堂」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|