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中西 昇(なかにし のぼる、生没年不詳)は、新選組隊士(伍長)、御陵衛士。 上州出身とされているが、島田魁『英名録』では武州川越出身とされている。北辰一刀流の伊東精一、伊東甲子太郎の弟子で、師範代を務める腕前であった。 元治元年10月、近藤勇や藤堂平助の勧誘され上洛。伊藤らと共に新選組に加盟した。その際の第二次組織編成では、斎藤一の四番組に属し、伍長となっている。慶応3年3月の御陵衛士の拝命により、新選組から分離した。 なお、阿部十郎によると、中西は新選組在籍時に佐原太郎(篠崎慎八郎)を殺害したといわれるが、篠原泰之進は久留米新激隊の田口次郎が殺害したと書き残している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「中西昇」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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