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中西英敏[なかにし ひでとし]
中西 英敏(なかにし ひでとし、1958年6月3日 - )は日本の柔道家。東海大学体育学部教授〔教員紹介 中西英敏 〕。 階級は71kg級。身長168cm〔Hidetoshi Nakanishi Biography and Olympic Results 〕。妻の中西美智子(旧姓:西條)も柔道家で、1981と1985年の全日本女子体重別56kg級で優勝している〔うじいえ英人の徒然日誌№40 〕。 == 人物 == 福岡県糟屋郡宇美町出身。東海大第五高校から東海大学に進学した。さらに東海大学大学院に進学すると、1年先輩の山下泰裕と一緒の家に住んでトレーニングを積んだ。1982年に体重別で優勝を飾ると、翌年は連覇して世界選手権代表に選ばれた。モスクワで開催された世界選手権では、3年前のソ連国際決勝でソ連のタマズ・ナムガラウリに帯取返で敗れた時の写真がポスターに使われていたのを見て余計に闘志が湧いて来たという〔平塚柔道物語その40 〕。3回戦ではそのナムガラウリと対戦して、相手の得意技を封じて小内刈で技ありを取って雪辱すると、決勝ではモスクワオリンピックで優勝したイタリアのエツィオ・ガンバを崩上四方固で破って優勝を果たした〔平塚柔道物語その41 〕。しかし、翌年のロサンゼルスオリンピックでは初戦で韓国の安柄根と対戦した際に、肋軟骨を負傷したのが影響してか注意を取られて敗れるなどして5位に終わった。1985年の講道館杯では、当時世田谷学園高校3年になったばかりの古賀稔彦に敗れて3位だった。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「中西英敏」の詳細全文を読む
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