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中西親志[なかにし ちかし]
中西 親志(なかにし ちかし、1960年11月6日 - )は、三重県松阪市出身のヤクルトスワローズに所属した捕手である。からまで東京ヤクルトスワローズのコーチを務めた。 == 来歴・人物 == 三重県立相可高等学校からNTT東海に進む。1982年から都市対抗に6回出場。1988年のドラフト5位でヤクルトスワローズに入団。2年目の1989年には66試合に先発出場し、秦真司とレギュラーを争う。しかし打撃面で伸び悩み、翌年に古田敦也が入団すると出場機会が減少。1996年に選手兼任コーチになり、それまでの背番号33を当時ルーキーだったカツノリに譲り、背番号を71に変更した。1997年、現役を引退しヤクルトのコーチに就任。 現役時代は古田敦也の影に隠れる形となったが、闘志あふれる性格と打者の内角を抉るリードで当時の野村克也監督からの信頼は厚かった。そのリードスタイルは歴代野村政権下のチームで踏襲されている。しかし、通算打率1割台本塁打1本と打力が弱く、また肩も弱かった上に後述の乱闘による負傷もあり正捕手にはなれなかった。出番はそれほど多い選手では無かったが気の強い選手で、後述の通り乱闘騒ぎを起こすことが多かった。 野村監督からは「日本一の控え捕手」と絶賛された。 、10月9日に球団から契約満了に伴い、退団する事が発表された〔契約満了のお知らせ(コーチ) ヤクルト球団公式サイト2013年10月9日配信〕。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「中西親志」の詳細全文を読む
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