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中谷 元(なかたに げん、1957年10月14日 - )は、日本の政治家。元陸上自衛官(二等陸尉、レンジャー)。自由民主党所属の衆議院議員(9期)、防衛大臣(第14代)。 防衛庁長官(第67代)、衆議院総務委員長、自由民主党副幹事長(特命担当)、自由民主党高知県連会長等を歴任した。 祖父は、実業家で戦前に立憲政友会に所属し衆議院議員を務めたこともある中谷貞頼。 == 来歴 == 高知県高知市生まれ。学校法人土佐高等学校土佐高等学校卒業後、総理府防衛庁入庁(防衛大学校本科理工学専攻卒業(24期))。防衛大学校在校中はラグビー部に所属。陸上自衛官を4年間務め、第20普通科連隊小銃小隊長、第1空挺団空挺教育隊レンジャー教官を経て2等陸尉で退官。その後加藤紘一、今井勇、宮澤喜一衆議院議員の秘書を務めた。 1990年、第39回衆議院議員総選挙に自由民主党公認で高知県全県区(定数5)から出馬し、得票数2位で初当選した。1993年の第40回衆議院議員総選挙では、高知県全県区でトップ当選する。1996年の第41回衆議院議員総選挙では、小選挙区比例代表並立制の導入に伴い高知2区から出馬し、2012年の第46回衆議院議員総選挙まで、高知2区で6期連続当選。 2000年の加藤の乱では、第2次森内閣不信任決議案に賛成票を投じる意向を示した加藤紘一に同調。結果的に加藤派・山崎派の造反は不調に終わったが、中谷は不信任案の採決では欠席した。 2001年、第1次小泉内閣において歴代最年少で防衛庁長官に任命され、当選4回で初入閣した。防衛大学校・陸上自衛官出身者で防衛庁長官に就任したのも中谷が初であった〔。2005年、衆議院総務委員長に起用される。 2011年3月、自由民主党高知県連会長選挙への立候補を表明。これに対して現職の山本有二も出馬を表明し〔「自由民主党高知県連会長選挙」『自由民主党高知県連会長選挙 - 自由民主党高知県連合会』自由民主党高知県支部連合会〕、2004年に会長を公選する規定が導入されていたため、初の会長選挙が実施され、中谷が県連会長に選出された。 2012年10月、宏池会を退会し、総裁を退任して間もない谷垣禎一を中心に結成された勉強会「有隣会」に参加した。同年12月、石破茂の下で自由民主党副幹事長(特命担当)に起用される。 2014年の第47回衆議院議員総選挙では、選挙区の区割り変更に伴い、新設された高知1区から出馬。日本共産党元職の春名眞章らを破り、9選。選挙後に発足した第3次安倍内閣では、再任を辞退した江渡聡徳の後任の防衛大臣に任命され、13年ぶりに2度目の入閣。安全保障関連法案の審議を巡っては、審議入り当初は答弁が不安定な場面もあり批判を浴びたが、最終的に成立に漕ぎ着け、省内からは「中谷氏でなければ乗り切れなかった」と高い評価を得た。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「中谷元」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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