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中谷泰 : ウィキペディア日本語版
中谷泰[なかたに たい]

中谷 泰(なかたに やすし/なかたに たい、1909年5月20日 - 1993年5月31日)は、三重県松阪市出身の画家東京藝術大学教授。
== 人物 ==
戦前、新文展で特選。春陽会会員となる。絵本画家のいわさきちひろに油絵を指導したことでも知られる。本名は中谷泰一(なかたにたいいち)。
戦後は、日本美術会の書記長を務めた美術評論家水沢澄夫に誘われ、同会に入会。春陽会や、日本アンデバンダン展(日本美術会主催)、平和美術展(美術家平和会議主催)にも作品を出品した。その後、日本美術会代表、東京藝術大学美術学部教授、財団法人いわさきちひろ記念事業団理事長、日本美術会附属美術研究所「民美」所長を歴任した。
戦前から挿絵も手がけ、坪田譲治の名作児童文学『善太と三平』(童話春秋社、1940年)の挿絵を皮切りに、戦後のNHKラジオドラマ番組「光を掲げた人々」をもとにした「光を掲げた人々」シリーズ全12巻(光の友社、1954年)の多くで挿絵を担当。
1950年代から1960年代初頭にかけて、『美術手帖』『アトリエ』『芸術新潮』などに油絵の手引きや、美術論などを寄稿した。
国立近代美術館に「炭坑」(1956年)、「陶土」(1958年)、「陶土」(1960年)が、神奈川県立近代美術館に「実らぬ稲」(1954年)、「漁婦」(1959年)が、愛知県美術館に「石切山」(1961年)が、三重県立美術館に「風景」(1930年)が〔日本美術会会員の公共機関に収蔵された作品一覧 (故人含む) 日本美術会サイト〕、「炭坑町」(1958年)などがいわき市立美術館に〔中谷泰 常磐炭田ネットワークサイト〕、「常滑」(1983年]])、「陶器の町‐常滑‐」(1982年)などが常滑市に〔常滑市収蔵美術品<絵画> 常滑市公式サイト〕所蔵されている。
日本共産党文化後援会代表委員を務めたことがある〔日本共産党文化後援会 〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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