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中野善敦[なかの よしあつ] 中野 善敦(なかの よしあつ、1896年(明治29年)9月〔『新編日本の歴代知事』550頁。〕 - 1972年(昭和47年)12月21日〔『朝日新聞』(東京本社発行)1972年12月22日夕刊、11面の訃報より。〕)は、日本の内務官僚、弁護士。官選県知事。 ==経歴== 東京府出身。中野政方の三男として生まれる〔。第一高等学校を卒業。1920年、東京帝国大学法学部法律学科(仏法)を卒業。内務省に入省し内務属となる。1921年11月、文官高等試験行政科試験に合格した〔〔『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』231頁。〕。 以後、奈良県書記官・学務部長〔『官報』第1103号、昭和5年9月1日。〕、栃木県書記官・警察部長、社会局書記官・労働部労務課長、神奈川県総務部長などを歴任〔。 1939年4月、高知県知事に就任〔『新編日本の歴代知事』952頁。〕。同年12月、文部省普通学務局長に転任〔『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』121頁。〕。1942年5月、岐阜県知事となる。満州報国農場の設置、中小商工業再編、授産事業などを推進した。1943年7月に知事を退任した〔。同年に退官し、戦後、公職追放となった〔。その後、弁護士となる〔。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「中野善敦」の詳細全文を読む
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