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中野祐里 : ウィキペディア日本語版
天海祐希[あまみ ゆうき]

天海 祐希(あまみ ゆうき、1967年8月8日 - )は、日本女優。本名、中野 祐里(なかの ゆり)。
宝塚歌劇団の元月組男役トップスター。愛称ゆりちゃんゆり研音所属。東京都台東区東上野出身。
== 来歴・人物 ==
中学で演劇部に入り2年生の時に宝塚ファンの担任に勧められ宝塚歌劇を志望し、高校生の時に受験準備のため、「大滝愛子バレエ・アート」に通っていた〔『明日吹く風のためにもっと遠くへ』P.40-46 天海祐希 講談社+α文庫〕。台東区立西町小学校台東区立御徒町中学校、菊華高等学校(現・杉並学院高等学校)2年修了後の1985年、宝塚音楽学校に首席で入学なお宝塚音楽学校入学は首席だったが、宝塚歌劇団入団時は26番〔『宝塚歌劇100年史 虹の橋 渡り続けて(人物編)』P.99 小林公一・監修 阪急コミュニケーションズ 2014年4月1日〕だった。
1987年73期生として宝塚歌劇団に入団、雪組公演『宝塚をどり讃歌/サマルカンドの赤いばら』(主演:平みち)で初舞台。同期にはいずれも女優の絵麻緒ゆう(現在のえまおゆう)(2002年のみ雪組トップ)、匠ひびき2001年から2002年まで花組トップ)、歌手姿月あさと1998年から2000年まで宙組トップ)の3人の元トップスターのほか、女優の青山雪菜(元娘役スター)、声優葛城七穂芦屋市議会議員の苑ななみ(現在の中島かおり)が入団した。当時の月組トップスターは剣幸。尚『サマルカンド〜』新人公演ではバルフ王子(本役:鮎ゆうき、当時雪組新進の男役だった)役に配され初舞台生の新人公演配役としては異例の目立つポジションの役どころをもらった。その後月組に配属。同年の月組バウホール公演『青春の旋風〜リトル・ヒーロー三四郎』で早くも準主役のひとりブーン役に抜擢され、年末公演の『ミー・アンド・マイガール』で研一(入団一年目)にして新人公演に初主演。
1989年、歌劇団ニューヨーク公演(メイン・大浦みずき、他に紫苑ゆうらが出演)メンバーに選出。1991年には4期上の久世星佳若央りさや1期上の真織由季大海ひろらを飛び越し月組2番手男役スターとなる。
1993年に初舞台から7年(正式には6年半)で月組トップスターに就任。天海の後任になる月組男役トップスターは3代(久世、真琴、紫吹)続けて天海より上級生であることや、天海以降に入団後10年以内で男役トップスターになった生徒は居ないこと、また、この年行われた『ミリオン・ドリームズ』『風と共に去りぬ』新人公演主演(在団7年目まで)は、天海の同期生である姿月あさとが演じることになったことからもその出世の速さがわかる。
1995年12月、28歳の時に『ミー・アンド・マイガール』で退団。相手役の麻乃佳世と同時退団だった。退団の際にはワイドショーで特集が組まれるなどマスコミ各社の高い関心を集めた。これ以降はテレビドラマや映画にも出演するようになる。
退団決定後に幾多かの芸能事務所から勧誘があったが、天海の親友が当時在籍していたフライングボックスに所属し、映画テレビドラマなど、活躍の場を広げた。『利家とまつ〜加賀百万石物語〜』で共演した唐沢寿明に誘われ、2003年1月1日付けで現在の所属事務所である研音へ移籍。テレビドラマでは、2004年以降は単独で主演を務めることが多い。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「天海祐希」の詳細全文を読む



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