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中院通時[なかのいん みちとき]
中院 通時(なかのいん みちとき)は鎌倉時代後期の公卿。権中納言正二位。従一位准大臣中院通頼の二男。母は権大納言姉小路顕朝の娘。中院通重の同母弟。 == 経歴 == 以下、『公卿補任』と『尊卑分脈』の内容に従って記述する。 建治元年(1275年)10月8日、叙爵。建治3年(1277年)11月5日、従五位上に昇叙。弘安2年(1279年)11月19日、正五位下に昇叙〔本家賞。〕。弘安4年(1281年)11月5日、侍従に任ぜられる。弘安6年(1283年)1月5日、従四位下に昇叙。弘安8年(1285年)3月1日、従四位上に昇叙。弘安9年(1286年)1月13日、左少将に任ぜられる。弘安10年(1287年)1月13日、周防介を兼ねる。弘安11年(1288年)4月7日、右中将に転任。同年11月21日、正四位下に昇叙。 正応4年(1291年)1月3日、従三位に叙される〔朝観行幸の日。〕。4月2日、中宮権亮は元の如し。正応5年(1292年)12月25日、中宮権亮を止める。永仁元年(1293年)1月7日、正三位に昇叙。永仁2年(1294年)12月24日、右衛門督を兼ねる。永仁3年(1295年)1月28日、左中将に任ぜられる。同年12月29日、参議に任ぜられる。左中将は元の如し。永仁4年(1296年)3月9日、左衛門督を兼ね検非違使別当に補される。4月13日、権中納言に任ぜられる。10月24日、左衛門督と検非違使別当を辞し、11月3日には帯剣を許される。永仁5年(1297年)3月20日、従二位に昇叙〔同年10月1日、父通頼が従一位に叙され16日には准大臣宣旨が下った。〕。永仁6年(1298年)6月23日、権中納言を辞退し正二位に昇叙。正和元年(1312年)9月21日、出家。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「中院通時」の詳細全文を読む
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