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中院通村[なかのいんみちむら]
中院 通村(なかのいん みちむら)は、江戸時代前期の公卿。村上源氏中院家の当主。後水尾天皇の第一の側近で、反幕府派の公卿。権中納言中院通勝の子。小倉藩主細川忠興とは義兄弟。最終官職の唐名から中院内府とも呼ばれる。 == 生涯 == 慶長5年(1600年)に13歳で叙爵。右近衛中将や参議などを経て、元和3年(1617年)1月に正三位・権中納言に進む。ついで同6年(1620年)閏12月従二位に昇叙し、同9年(1623年)10月武家伝奏に補され、寛永6年(1629年)11月に権大納言に昇った。後水尾天皇の信任が厚く、たびたび江戸に下っては朝幕間の斡旋に努めたが、同年11月、天皇が突如興子内親王に譲位すると、この謀議を関知しながら武家伝奏として幕府に報告しなかったとの理由で、翌年(1630年)武家伝奏を罷免された。そして、同12年(1635年)3月に江戸へ召されて寛永寺に幽閉されたが、天海の請によって赦免されて帰京。正保4年(1647年)7月には内大臣となるが、まもなくこれを辞し、承応2年(1653年)2月29日に薨去した。享年66。 古今伝授を受けた歌人として評価が高く、天皇御製の添削を命じられたほどであった。家集『後十輪院内府詠藻』には、1600余首が収められる。また、父・通勝の源氏学を継承し、天皇や中和門院などに対してしばしば『源氏物語』の進講を行っている。世尊寺流の能書家としても著名で、絵画などにも造詣を見せるなど、舅の細川幽斎に劣らぬ教養人であった。日記に『中院通村日記』がある。
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