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丸ト北村(まるときたむら)は、かつて北海道釧路市に存在していた百貨店〔。 北海道で初めて経営破綻した百貨店である〔。 == 歴史 == 1906年(明治39年)10月に北村藤吉が釧路の西幣舞(現・釧路市北大通2丁目)で「丸と北村呉服店」開業したのが始まりである〔。 1955年(昭和30年)に商号を丸ト北村に改称し〔、1967年(昭和42年)には百貨店営業許可を取得して百貨店となった〔。 実用衣料を中心とする衣料品を全般に強みを持つ釧路では有力な百貨店の一つへ成長し、1975年(昭和50年)12月に約9億円を投じて増改築を行って増床を図った〔。 しかし、地元釧路の主要産業の一つである水産業が200カイリ規制の開始に伴って低迷するなど地域経済が低迷していたうえ〔、1976年(昭和51年)には4月4日に長崎屋釧路店が開店し〔、6月1日に丸三鶴屋が新館の増築を行って増床するなど競合が激化し〔、売上が伸び悩んでこの増床が結果として過大投資となった〔。 そのため、1977年(昭和52年)2月期に7700万円の赤字に陥り、業績の悪化を受けて1977年(昭和52年)1月に主取引銀行であった北海道拓殖銀行から沢村二郎が代表取締役副社長に就任して再建を図った〔。 ところが、1978年(昭和53年)2月期に約4.6億円とさらに赤字幅が拡大して負債総額約26億9247万円に達して約4億円の債務超過に陥ったことから、3月27日に釧路地方裁判所に和議手続を申請して同日に受理されて財産保全命令を受け、事実上倒産した〔。 この和議申請は百貨店法に基づいて営業した北海道内の企業としては初の経営破綻であった〔。 和議手続を申請した翌日の3月28日から一旦営業停止して翌4月8日に債権者に対する説明会を開いて債権者の理解を求め〔、4月11日に営業再開に漕ぎ着けて復活した〔。 この和議申請に伴って、関連会社の丸ト友の会も事業を事実上停止し、3月29日から積立会費に当時の法定利息年6%を加算して現金で返済する形となった〔。 また、従業員を136人から約70人に削減するなど事業規模を大幅に縮小すると共に実用衣料への特化することで再建が図られたが〔、2000年(平成12年)2月29日に閉店となった〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「丸ト北村」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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