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丸吉講[まるきちこう] 丸吉講(まるきちこう)は、江戸時代後期から明治時代に、現在の埼玉県新座市周辺で隆盛した富士講の一講社。浅海吉右衛門を講祖とする。 == 浅海吉右衛門と丸吉講 == この地区に残る「丸吉大行之巻」によれば、天保2年(1831年)、新座郡片山村在住の浅海吉右衛門が富士登山三十三度の大願を成就しようと甲州都留郡下暮地村(現・山梨県南都留郡西桂町)に宿泊していたところ、名主と神主が来て、自分たちの村内に雲霧の晴れることもなく狩人すら登らない三峠という山があるが、富士先達の力で三峠を開いてほしいと懇願された。これを引き受けた吉右衛門は、先ず富士山に参拝し三十三度登山の大願成就した後、帰路同行衆と別れて下暮地村名主宅に一泊する。同年7月6日朝、吉右衛門は一人でこの峠に登ると、そこにあった石尊大権現はじめ二柱を祀った古宮に籠もり、21日間開山祈願の経文を唱え続けた。7月27日朝、それまで暗く淀んでいた雲霧がきれいに晴れ渡り、下山した吉右衛門を迎えて村人は驚喜し開山を祝ったという。 この後、浅海吉右衛門は片山村に帰り、神祇から「浅海大和守」の官位称号を授かった。この片山の先達の霊力の不思議は近在に知れ渡り、病気や災難を逃れるための祈祷に廻ったことで、行く先々に丸吉講社が生まれた。2年後の天保4年(1833年)には、入間・多摩・豊島・新座4郡に加入戸数4,000軒を数えたという。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「丸吉講」の詳細全文を読む
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