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丸尾英司 : ウィキペディア日本語版
丸尾英司[まるお えいじ]

丸尾 英司(まるお えいじ、1972年4月26日 - )は、兵庫県姫路市出身の元プロ野球選手投手)。から、社会人野球パナソニック野球部にてヘッドコーチを務める。
== 来歴・人物 ==
網干中学では完全試合を記録するなど活躍し、東洋大姫路から勧誘を受けたが、のびのびした環境を求めて地元の姫路南高校に進学した〔朝日新聞、1993年06月30日付朝刊、兵庫地方面〕。高校では1年夏からエースとなり、2年および3年の夏に兵庫大会で5回戦まで進出している〔。
高校卒業後は佛教大学に進学。京滋リーグで通算30試合に登板し25勝1敗。最優秀選手3回、最優秀投手2回、ベストナイン4回受賞。18連勝のリーグ記録を樹立する。1992年秋季の京都学園大戦でノーヒットノーランを達成する。〔読売新聞、2002年10月19日付朝刊、P.24〕。3年生のには日本・キューバ対抗戦で日本代表に選出され、山部太らを押しのけて先発した〔読売新聞、1994年5月7日付朝刊、P.6〕第1戦で3回を2安打無失点に抑え、プロから注目されている。その一方で講義にもよく出席しながらアパートで一人暮らしをし、週2回はコンビニエンスストアで深夜にアルバイトをするなど、一般的な学生生活を送っていた〔。1994年のドラフト会議オリックス・ブルーウェーブから2位指名を受けて、同大学初のプロ野球選手となる。契約金、年俸はそれぞれ8,000万円、1,000万円(金額はいずれも推定)だった〔毎日新聞、1994年12月21日付朝刊、P.17〕。
にはジュニアオールスターゲームで先発して勝利投手となり優秀選手に選ばれたが〔読売新聞、1996年7月20日付朝刊、P.18〕、一軍では5年間で14試合の登板に終わりオフに戦力外通告を受ける。
テストを受けに大阪近鉄バファローズに年俸800万円〔読売新聞、1999年12月10日付朝刊、P.17〕で入団し、過去最高となる19試合登板を果たしたが同年オフに戦力外通告を受けた。
大久保勝信愛敬尚史ドラフトで指名されて投手陣が手薄となった松下電器から誘われ〔朝日新聞、2002年10月24日付夕刊、P.3〕、同年11月30日に入社試験を受けて翌12月1日付で入社した。鍛治舎巧野球部長からは野球に対する姿勢も評価されていたという〔読売新聞、2002年10月19日付朝刊、P.24〕。シーズンは先発と抑えを務めて活躍し、2年目のには都市対抗野球で21回2/3を投げ防御率0.42の好投で2勝を挙げ、チームの13年ぶりのベスト4進出に貢献。同年の日本選手権でも1勝、防御率1.50と年間を通じて安定した活躍を見せ〔毎日新聞、2002年12月5日付朝刊、P.13〕、元プロ選手としては初めて社会人ベストナインに選出された。また、1月には日本スポーツ賞の優秀選手賞を受賞している〔読売新聞、2003年1月31日付朝刊、P.19〕。は投手コーチを兼任して現役を続けていたが、2大大会の登板もなく同年オフに引退した。
からはコーチ専任でチームを支え、同年チームの社会人野球日本選手権大会2度目の優勝に貢献している。翌限りで一度退部したものの、からヘッドコーチに就任して2年ぶりに現場復帰した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「丸尾英司」の詳細全文を読む



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