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丸山博 : ウィキペディア日本語版
丸山博[まるやま ひろし]
丸山 博(まるやま ひろし、1932年12月5日 - )は、プロ野球審判員で元セントラルリーグ審判部副部長。審判員袖番号は30〔1988年初採用から1994年退職までで、1989年現役引退後(審判指導員→台湾審判指導員)も含まれる。なお、現在30は1998年以降木内九二生がつけている。〕。
==来歴・人物==
長野県上田市出身。終戦の1945年に旧制上田中学に入学、野球部に入部するも小柄だったためマネージャーを務めた。新制となった上田松尾高校(現在の長野県上田高等学校)を卒業後、長野県高等学校野球連盟を経て1957年セ・リーグ審判部に入局。
以後セ・リーグの中心審判の一人として活躍し、1989年に引退するまでの審判としての通算試合出場数は3521試合を数えたが日本シリーズ出場は意外と少なく2回(1977年の日本シリーズ1982年の日本シリーズ)、またオールスターには6回出場した。
歴史的な試合にも立会い、1976年10月11日読売ジャイアンツ阪神タイガース第23回戦(後楽園球場)にて王貞治(巨人軍)が山本和行(阪神)から8回裏、ベーブ・ルースの通算714本塁打を抜く通算715号本塁打を打ったゲームの球審を務めていた。この際、王が飛び上がって万歳している横でしゃがんでホームランの確認をしている丸山の写真が残っている。なお、当時ヤクルトの監督だった広岡達朗には「巨人贔屓の審判」として名指しで批判を受けてもいる。
引退後は日本プロ野球および台湾で審判指導を行った。台湾では1992年から1994年の間、実際にグラウンドに立ち268試合審判を務めたほか、審判技術指導も行っている。
1999年日本野球機構審判規則委員に就任し、11年間務めた後、2010年1月31日にて退任した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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