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丸山 敦(まるやま あつし、1976年6月1日 - 〔オフィシャルブログ プロフィール より。〕)は、日本のプロレスラーである。大阪府高槻市出身。妻は元女子プロレスラーの白鳥智香子。 大阪プロレスでのデビューから2014年4月まで、タイガーマスクと阪神タイガースをドッキングさせたギミックが特徴の覆面レスラー「タイガースマスク」として活動していた。 2014年4月22日より東京へ活動拠点を移し、リングネームを本名に変更。本名での活動と共に多彩なマスクマンレスラーとなる。 == 経歴 == 桃山学院大学在学中に大阪学院大学プロレス研究会で『アンデレ丸山』のリングネームで活動。卒業後、2000年9月に大阪プロレスに入門。 2001年5月19日なんばマザーホール大会、スペル・デメキン戦でタイガースマスクとしてデビュー。ここから連敗を重ね、実に121連敗することになる。 2002年5月26日、タイガースマスク&高井憲吾 vs シュウ&ビリーケン・キッド戦でシュウを横入り式エビ固めでフォールを奪い初勝利。 2003年、阪神タイガースが好調。引きずられるように自身も良いファイトを繰り返す。阪神タイガースの特集番組等に関連し関西ローカルながらテレビやイベントに多々出演する。12月ビリーケン・キッドとタッグを組み、大阪タッグチャンピオンのベルトに挑戦。王者である獣神サンダー・ライガー&村浜武洋組をタイガース・スープレックス・ホールドで倒した。しばらく後についたタッグチーム名は「ザ☆虎ビリー」。 2004年5月、肋骨を骨折し欠場、6月には復帰するものの調子は上がらず不振が続いた。12月には5度目の防衛に失敗しタッグ王者から陥落、自身の不振を理由にタイガースが「ザ☆虎ビリー」の解散を申し出る。 2007年2月、大阪ハリケーンにてビリーケン・キッドを破り、大阪プロレス選手権のベルトを獲得。 2007年9月、みちのくプロレス「第4回ふく面ワールドリーグ戦」に参戦。準決勝でタイガーマスク (4代目)との直接対決が実現した。(結果はタイガーマスクの勝利) 2007年12月、天王山2007で優勝、大阪プロレス王座のベルトを防衛した。 2008年10月、コスチュームを黒を基調としたものに一新しヒール転向。 2009年3月、サソリを下して、IMGP(International Muscle Grand Prix)世界ヘビー級第6代王者に。 2009年12月、新日本プロレス主催の第5回スーパーJカップに出場、2回戦で丸藤正道(プロレスリング・ノア所属)に敗北(なお、丸藤は本大会で優勝)。 2010年1月17日、DRAGON GATE大阪府立大会へブラックバファローと共に乱入。4月18日、スペル・シーサーを破りオープン・ザ・ブレイブゲート王座を奪取。 2014年、大阪プロレスを退団し東京で活動することを発表。退団後の初試合にて自らの手でマスクを脱ぎ捨て素顔に戻る。 素顔では主に大日本プロレスに参戦中。KAIENTAI DOJOで柏大五郎が所属するBozz連合に加入し大阪退団後はリングネーム「TEPPEI」として活動。プロレスリングHEAT UPではヒールユニット「無宿」に加入し大阪退団後はリングネーム無宿の「赤虎」として活動。みちのくプロレスではタイガースマスクを感じさせるイーグルスマスクとして登場。 退団後の4月22日より「先駆舎」に所属したものの同年9月末をもって契約終了し退社することを公表したが、その後頚椎症性神経根症および頚椎捻挫のため当分の間欠場すると公表し、10月28日には丸山が中心となって『欠場プロレス』をアイスリボン道場で開催している。なお11月に復帰した際にはコルセットを首に巻いて試合した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「丸山敦」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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