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丸山昭 : ウィキペディア日本語版
丸山昭[まるやま あきら]
丸山 昭(まるやま あきら、1930年- )は、日本の漫画編集者。『少女クラブ』編集長、講談社取締役を務めた。山梨県甲府市出身。学習院大学哲学科卒業。
1950年代から1960年代にかけて、手塚治虫担当の編集者として活躍した他、初期のトキワ荘に住む漫画家を発掘、担当を務めて、数々の新人を育て上げた編集者である〔武居俊樹『赤塚不二夫のことを書いたのだ』文藝春秋、2005年、p.96〕。
丸山が育てた漫画家に、石ノ森章太郎赤塚不二夫水野英子らの名前が挙げられる〔『赤塚不二夫のことを書いたのだ』p.102〕〔長谷邦夫『漫画に愛を叫んだ男たち』清流出版、2004年、pp.52-58〕〔長谷邦夫『マンガ編集者狂笑録』水声社、2008年、p.175〕。トキワ荘グループの漫画家たちを育てた功績に対して、2001年に手塚治虫文化賞特別賞が授与された〔第5回手塚治虫文化賞特別賞 手塚治虫文化賞公式ページ(asahi.com内)〕。
2000年代後半には、かつての漫画編集者を取材し、江東区森下文化センターで元編集者や漫画家を招いて講演会を開いて、現場の記録を残す活動を行っている〔夏目房之介「編集者の役割」『マンガ学入門』夏目房之介、竹内オサム編著、ミネルヴァ書房、2009年、p.145〕。
== 経歴 ==

*1953年(昭和28年)、大日本雄弁会講談社(現・講談社)に入社。1954年(昭和29年)、『少女クラブ』編集部配属となり、当時「リボンの騎士」を連載していた手塚治虫の担当となり、以後、手塚番を6年務めた〔丸山昭『まんがのカンヅメ 手塚治虫とトキワ荘の仲間たち』ほるぷ出版、1993年、p.97〕。
*1955年(昭和30年)8月、手塚治虫を訪ねてきた石ノ森章太郎赤塚不二夫長谷邦夫に偶然出会う。後に石ノ森、赤塚担当となり、トキワ荘に住む漫画家達との交流が始まる。このころ、水野英子の投稿作に注目し、後にトキワ荘に水野を呼び寄せ、育て上げる。
*1958年(昭和33年)、『ぼくら』編集部に異動。
*1959年(昭和34年)、『少女クラブ』編集長になる。
*1967年(昭和42年)、講談社フェーマススクールズの設立に参加し、同社の取締役となる。
*1981年(昭和56年)1月13日、手塚治虫が中心になり、トキワ荘のかつての居住者らが集まりトキワ荘の同窓会が開かれ、漫画家以外では唯一の参加者となる。その模様はNHK特集『わが青春のトキワ荘~現代マンガ家立志伝~』として5月25日放送されたが、丸山は映っていない〔『まんがのカンヅメ』p.112〕。
*1998年(平成10年)、講談社を退社。
*2001年(平成13年)、朝日新聞社の第5回手塚治虫文化賞特別賞を受賞。
*2002年(平成14年)、「私の八月十五日」の会に参加。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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