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丸木俊[まるき とし] 丸木 俊(まるき とし、1912年2月11日 - 2000年1月13日)は洋画家である。 ==人物・経歴== 北海道雨竜郡秩父別町生まれ。旧本名は赤松俊子。女子美術専門学校卒。二科展に出品、1933年から1937年まで小学校の教員を務める〔菅原憲義『遺言‐丸木位里・俊の五十年』(青木書店) 211頁〕。1941年、丸木位里と結婚。1941年から1946年まで美術文化協会展に出品。浦和画家など多くの画家が住む埼玉県浦和市に疎開していたが、原爆投下後に広島へ赴き、救援活動を行い夫とともにその惨状を目撃し〔菅原憲義『遺言‐丸木位里・俊の五十年』(青木書店) 56-57頁〕、以後2人で原爆の絵を描き続ける。女流美術家協会、十一会に所属。1946年に日本共産党に入党。いわさきちひろを指導、デッサンなどに強い影響を与えた〔菅原憲義『遺言‐丸木位里・俊の五十年』(青木書店) 198-199頁〕。1964年に部分的核実験停止条約の評価を巡り共産党を除名される〔菅原憲義『遺言‐丸木位里・俊の五十年』(青木書店) 200頁〕。1966年に埼玉県]に移住し、翌年に原爆の図丸木美術館を開設。1995年にノーベル平和賞候補に選ばれたとされ〔この内容は下記脚注(丸木美術館ウェブサイト)によるが、ノーベル賞の候補者や選考過程には50年間の守秘義務があり、平和賞を選定するノルウェー・ノーベル委員会から公式に発表されたものではない点に留意が必要である。〕、翌1996年に朝日賞を受賞〔丸木美術館-丸木夫妻略歴と館史 2013年9月11日閲覧。〕。 遠縁の親戚としてNHKアナウンサーの赤松俊理がいる。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「丸木俊」の詳細全文を読む
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