翻訳と辞書
Words near each other
・ 丹尾安典
・ 丹山禎昭
・ 丹山美紗緒
・ 丹岱オゴリ駅
・ 丹川県
・ 丹州
・ 丹州 (日本)
・ 丹巴
・ 丹巴県
・ 丹平中田
丹平倶楽部
・ 丹平写真倶楽部
・ 丹平製薬
・ 丹後
・ 丹後 (列車)
・ 丹後 (戦艦)
・ 丹後ちりめん
・ 丹後の国
・ 丹後中央病院
・ 丹後内侍


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

丹平倶楽部 : ウィキペディア日本語版
丹平写真倶楽部[たんぺいしゃしんくらぶ]

丹平写真倶楽部(たんぺいしゃしんくらぶ)とは、浪華写真倶楽部のメンバーの一部で結成されたアマチュア写真家による団体。
丹平写真倶楽部は、1930年昭和5年)に大阪市南区(現在の中央区心斎橋2丁目に存在した建物「丹平ハウス」(丹平商会所有)内で開設された。丹平ハウスは1階のハイカラな喫茶ソーダファウンテンでよく知られ、倶楽部の結成の元となった「丹平薬局写真材料部」には多くの写真家らが集った。同じ建物内には赤松麟作の洋画研究所もあり、当時の先端的な文化スポットであった。
上田備山を中心に結成。のちに安井仲治も参加し、中心メンバーとなる。他の主要なメンバーには、河野徹、椎原治、平井輝七、本庄光郎、棚橋紫水、川崎亀太郎、天野龍一、手塚粲(漫画家の手塚治虫の父)ら。
関西写真画壇の「丹平」と「浪華」には共通したメンバーが多く、一般に「丹平」は「浪華」の弟分とみなされていた。浪華に比べて、よりストレートフォトグラフィで前衛的な写真を志向した。1935年(昭和10年)からは丹平写真倶楽部は毎年のように東京で展覧会を開催し、戦後も活動を継続した。
1946年(昭和21年)に和田生光、木村勝正らが京都に京都丹平設立。
1953年(昭和28年)に棚橋紫水、河野徹、木村勝正、佐保山尭海、和田生光、岩宮武二、堀内初太郎、玉井瑞夫の8人がシュピーゲル写真家協会を発足させ分派。
==関連項目==

*日本写真史
*丹平製薬

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「丹平写真倶楽部」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Tampei Photography Club 」があります。



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.