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丹後ちりめん : ウィキペディア日本語版
丹後ちりめん[たんごちりめん]

丹後ちりめん(たんごちりめん)は、京都府北部の丹後地方で生産される高級絹織物の総称。丹後地方の地場産業であり、主な産地は京丹後市宮津市与謝郡与謝野町である。丹後地方は日本国内の約1/3の絹を消費する日本最大の絹織物産地である〔松岡(2010)、82頁〕。白生地のまま京都市・室町の問屋に出荷されることが多く、丹後外で染色や縫製がなされて製品となる〔。
== 歴史 ==

=== 江戸時代 ===
丹後地方では少なくとも奈良時代からの生産が行われており、正倉院には丹後国竹野郡から調貢された絁(あしぎぬ)が残されている〔松岡(2007)、6頁〕。さらに中世には精好(せいごう)、近世には紬や撰糸(せんじ)などが製織されてきた〔。縮緬の技術が導入されたのは享保5年(1720年)から享保7年(1722年)にかけてである〔京都府丹後郷土資料館(1989)、12頁〕。加悦谷では農業や付加価値の低い絹織物だけで生計を立てるのが困難であり、延宝8年(1680年)・9年や享保2年(1717年)の凶作飢饉で生活が危機的状況に陥ったことから、縮緬技術の導入が計画された〔。享保5年には峰山の絹屋佐平治が京都の西陣から縮緬技術を持ち帰り、享保7年(1722年)には加悦谷の手米屋小右衛門、山本屋佐兵衛、木綿屋六右衛門が故郷に技術を持ち帰った〔松岡(2007)、7頁〕〔。丹後にはすでに技術の蓄積があり、また享保15年(1730年)の西陣の大火で織機が多数焼失したことなどから、織物は品薄となり、丹後や桐生などの新興縮緬産地は大きく発展した〔〔京都府丹後郷土資料館(1989)、15頁〕。
京の市場に比較的近いという経済・地理的条件が幸いし、享保年間には縮緬の主産地である西陣を脅かす存在にまで成長したが、許可制の導入や全国的な倹約奨励などで大きな打撃を受けた〔。寛政元年(1789年)には「反別検査制度」という独自の品質保証制度を設け、文政3年(1820年)には宮津、峰山、久美浜3領内を統一した「大会所」と呼ばれる機屋の統一組織を作るなどして対抗した〔京都府丹後郷土資料館(1989)、17頁〕。1830年代に行われた天保の改革では問屋制の廃止や縮緬機の停止がなされ、丹後の縮緬は再び打撃を受けた〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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