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丹羽 氏昭(にわ うじてる)は、江戸時代後期の大名。播磨三草藩の第4代藩主。氏次系丹羽家10代。 天明3年(1783年)7月24日、第3代藩主丹羽氏福の長男として生まれる。寛政8年(1796年)2月6日、父の隠居で家督を継ぐ。寛政10年(1798年)10月1日に将軍徳川家斉に拝謁、12月16日に叙任する。 享和元年(1801年)4月、日光祭礼奉行を命じられる。文化元年(1804年)11月19日、大番頭に就任する。文化12年1月12日、伏見奉行に就任する。文政2年8月8日、奏者番に就任する。文政10年(1827年)9月2日、父に先立って死去した。享年45。跡を長男の氏賢が継いだ。墓所は東京都港区西麻布の長谷寺。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「丹羽氏昭」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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