翻訳と辞書
Words near each other
・ 丹羽氏勝継室
・ 丹羽氏定
・ 丹羽氏明
・ 丹羽氏昭
・ 丹羽氏栄
・ 丹羽氏次
・ 丹羽氏清
・ 丹羽氏福
・ 丹羽氏純
・ 丹羽氏興
丹羽氏識
・ 丹羽氏資
・ 丹羽氏賢
・ 丹羽氏重
・ 丹羽氏音
・ 丹羽泉
・ 丹羽洋介
・ 丹羽海鶴
・ 丹羽淑雄
・ 丹羽淳太郎


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

丹羽氏識 : ウィキペディア日本語版
丹羽氏識[にわ うじさと]
丹羽 氏識(にわ うじさと、明応6年(1497年) - 永禄8年6月19日1565年7月16日))は、戦国時代武将丹羽氏清の子。尾張国岩崎城2代目城主。右近大夫、若狭守。子は丹羽氏勝上田近正丹羽氏常(寛政重修諸家譜には丹羽氏国とある)、丹羽氏種丹羽氏俊
同族の尾張国藤島城主・丹羽氏秀と対立し、たびたび戦う。氏秀は織田信長に援軍を求め、天文20年(1551年)に尾張国愛知郡横山で氏清・氏識・氏勝と対決した。氏識はこれを破り、藤島城も領することとなった。
その後、岩崎が尾張・三河国双方の要害の地であったため、織田信長・徳川家康の双方から臣下としての誘いを受けるが、信長が横山の戦いで氏秀に援軍を送っていたため信長の誘いを断って家康につき、三河国の乙尾・一色・赤羽根の三ヶ所を与えられた。信長と家康が和睦して清洲同盟を結んだ後は信長の臣下となるが、三河国の所領はそのまま安堵された。
永禄8年(1565年)に69歳で死去。法名は清安道休永運院。墓所は愛知県日進市の妙仙寺。
==参考文献==

*『寛政重修諸家譜』第2巻



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「丹羽氏識」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.