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丹羽長国[にわ ながくに]
丹羽 長国(にわ ながくに)は、陸奥二本松藩の第11代藩主。 == 生涯 == 天保5年(1834年)4月14日、二本松藩主・丹羽長富の六男として生まれる。幼名は保蔵。弘化3年(1846年)12月18日、従五位下越前守に叙任する。弘化4年12月16日、従四位下に昇進する。安政5年(1858年)10月11日、父長冨の隠居により、家督を継いだ。同年12月16日、侍従に任官する。文久3年(1863年)10月25日、上洛し、参内する。元治元年(1864年)4月9日、幕府から京都警備を命じられる。同年、従四位上に昇進する。慶応元年(1865年)9月5日、幕府から冬期の京都の警備を命じられる。 慶応4年(1868年)、二本松藩は奥羽越列藩同盟に加わり、官軍である明治新政府軍と戦ったが、各地で敗戦した。7月29日、二本松城は陥落した(二本松の戦い)。藩主長国は米沢藩に逃れた。9月10日、二本松藩は新政府に降伏し、藩主長国は謹慎を命じられた。10月23日、東京の前橋藩邸に移される。12月7日、新政府から隠居を命じられた。また、領地10万700石のうち5万700石を没収された。なお、家督は養子長裕が継いだ。 明治2年(1869年)9月28日、謹慎を解かれた。明治35年(1902年)5月3日、孫にあたる長保の死去により、家督を再び相続した。そして、子爵を授けられた。なお、長保は、長裕の実弟であった。明治37年(1904年)1月15日に死去した。享年71(満69歳没)。跡を養子の長徳が継いだ。 なお、長国の長女峯は丹羽長裕夫人、五女鉏子は丹羽長徳夫人、六女花子は丹羽長保夫人となった。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「丹羽長国」の詳細全文を読む
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