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丹羽 長次(にわ ながつぐ、寛永20年9月15日(1643年10月27日) - 元禄11年6月26日(1698年8月2日))は、陸奥二本松藩の第2代藩主。丹羽家第3代。先代藩主・丹羽光重の長男。母は安藤重長の娘。官位は従四位下、左京大夫。正室は蜂須賀光隆の娘・幸姫。 延宝7年(1679年)、父の隠居により家督を継ぐ。 元禄11年(1698年)に死去したが、実子に恵まれなかったため、跡を弟の長之が継いだ。 『土芥寇讎記』には、「父親(光重)は美童を甚だしく愛して問題が多かったが、息子(長次)にはその気配はない」「父は儒学の素養があったが息子にはない」と書かれており、「善に非ず悪に非ず」の普通の人、とされている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「丹羽長次」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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