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丹羽高寛 : ウィキペディア日本語版
丹羽高寛[にわ たかひろ]

丹羽 高寛(にわ たかひろ)は、陸奥二本松藩の第5代藩主。丹羽家第6代。藩祖・丹羽長秀の六男で1500石の旗本となった丹羽長次の子孫・丹羽長道の長男として生まれる。官位は従四位下、左京大夫
先代藩主・秀延の養子となり、享保7年(1722年)に将軍・徳川吉宗に初御目見する。享保13年(1728年)、秀延の死により家督を継いだ。
老臣の丹羽忠亮と共に綱紀粛正と文武の奨励に取り組み、儒者の桂山彩厳の推挙により、岩井田昨非を召抱える。
延享2年(1745年)に病気のため隠居し、長男・高庸に家督を譲った。
寛延2年(1749年)、昨非の献策により、二本松城前に藩士たちへの戒めのため「戒石銘碑」を彫らせた。
:爾俸爾禄 民膏民脂 下民易虐 上天難欺
:(爾の俸、爾の禄は 民の膏 民の脂なり 下民は虐げ易きも 上天は欺き難し)
と刻まれており、藩政改革と綱紀粛正の指針を示した。
明和6年(1769年)に死去した。
== 関連項目 ==

*旧二本松藩戒石銘碑



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「丹羽高寛」の詳細全文を読む



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