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丹羽龍之助 : ウィキペディア日本語版
丹羽龍之助[にわ りゅうのすけ]

丹羽 龍之助(にわ りゅうのすけ、1847年5月17日弘化4年4月3日〉 - 1914年大正3年〉2月9日)は、日本宮内省官僚。佐賀県士族、肥前藩士。
式部官 兼 式部主事、久邇宮家令、小松宮家令、宮中顧問官などを歴任した。
== 経歴 ==

* 明治3年6月8日 – 任 少舎長
 * 9月14日 – 任 中舎長〔
 * 10月13日 – 任 大舎長〔
* 明治4年10月 - 免官、留学。〔
* 1873年(明治6年)12月 - 海外留学を免ぜられ私費留学生となる〔。
* 1876年(明治9年)12月 - 帰国〔
* 1877年(明治10年)12月22日 - 御用掛、但し判任に準ずる取扱にて月給六十円付与。法制局勤務〔。
* 1878年(明治11年)5月14日 - 御用掛、但し奏任官の取扱にて月俸八十円下賜〔。
* 1880年(明治13年)1月20日 - 自今月俸百円下賜〔。
 * 4月16日 – 任 外務権少書記官〔
 * 4月26日 – 任 外務三等書記官、ドイツ公使館在勤〔
* 1881年(明治14年)8月20日 - 廃官、任 外務書記官、ドイツ公使館在勤、但し年俸英貨五百八十ポンド下賜〔。
* 1882年(明治15年)10月20日 - 自今年俸英貨六百三十ポンド下賜〔。
* 1884年(明治17年)6月28日 - 交際費補呈として銀貨二百円下賜〔。
 * 11月8日 - 帰国〔
* 1885年(明治18年)4月23日 - 任 式部官〔『官報』第541号「叙任」1885年4月24日。〕、六等官相当、年俸千二百円下賜〔『官報』第541号「官庁彙報」1885年4月24日。〕
* 1886年(明治19年)2月15日 - 奏任官三等、年俸千三百円下賜〔。
* 1887年(明治20年)3月9日 - 近々ドイツ帝国フリードリヒ・レオポルド親王来航に付き迎接として神戸港へ出張〔『官報』第1105号「叙任及辞令」1887年3月10日。〕
* 1888年(明治21年)3月8日 - 兼任 式部主事補、奏任官三等、中級俸下賜〔『官報』第1405号「叙任及辞令」1888年3月9日。〕
* 1889年(明治22年)3月16日 - 賜上級俸〔『官報』第1712号「叙任及辞令」1889年3月18日。〕
 * 7月23日 - 賜二級俸、兼任 式部主事〔『官報』第1821号「叙任及辞令」1889年7月25日。〕
 * 12月17日 - 叙奏任官二等、賜五級俸〔『官報』第1943号「叙任及辞令」1889年12月18日。〕
* 1890年(明治23年)3月4日 - 第三回内国勧業博覧会事務委員〔『官報』第2002号「叙任及辞令」1890年3月6日。〕
 * 6月5日 - オスマン帝国使節来航に付接伴掛〔『官報』第2079号「叙任及辞令」1890年6月6日。〕
 * 10月21日 – 免 第三回内国勧業博覧会事務委員〔『官報』第2196号「辞令」1890年10月23日。〕
* 1891年(明治24年)3月18日 - 賜四級俸〔『官報』第2313号「叙任及辞令」1891年3月19日。〕
 * 4月7日 - 書記官事務補助〔
* 1892年(明治25年)3月16日 - 兼任 久邇宮家令、叙 五等〔『官報』第2612号「叙任及辞令」1892年3月18日。〕
* 1893年(明治26年)3月28日 – 免 書記官事務補助〔
 * 7月21日 - 小松宮家令長崎省吾不在中代理家令事務兼勤〔
 * 12月6日 - 免兼 久邇宮家令〔『官報』第3133号「叙任及辞令」1893年12月7日。〕
* 1894年(明治27年)3月7日 - 賜三級俸〔
 * 9月14日 - 書記官事務補助〔
* 1895年(明治28年)4月14日 - 小松宮家令長崎省吾不在中代理家令事務兼勤〔『官報』第3538号「叙任及辞令」1895年4月19日。〕
 * 6月27日 - 任 小松宮家令〔『官報』第3598号「叙任及辞令」1895年6月28日。〕
 * 6月30日 – 免 書記官事務補助〔
 * 7月24日 -兼任 宮内書記官、 叙四等〔『官報』第3621号「叙任及辞令」1895年7月25日。〕
* 1896年(明治29年)5月13日 - 第二回水産博覧会事務官〔『官報』第3860号「叙任及辞令」1896年5月14日。〕
 * 7月1日 - 叙三等〔『官報』第3902号「叙任及辞令」1896年7月2日。〕、賜五級俸〔。
 * 12月25日 - 賜四級俸〔。
* 1898年(明治31年)12月28日 - 賜三級俸〔。
* 1899年(明治32年)10月27日 - 叙二等(式部官)、叙三等(宮内書記官)、免兼 式部主事、外事課勤務兼勤〔『官報』第4899号「叙任及辞令」1899年10月28日。〕
* 1901年(明治34年)10月14日 - 群馬県下行幸供奉、群馬県下行幸会計主務官〔『官報』第5487号「叙任及辞令」1901年10月15日。〕
* 1902年(明治35年)12月15日 - 賜二級俸〔。
* 1903年(明治36年)12月26日- 補 外事課次長〔『官報』第6148号「叙任及辞令」1903年12月28日。〕
* 1904年(明治37年)12月21日 - 賜一級俸〔。
* 1906年(明治39年)4月1日 - 明治三十七八年事件ノ功により金三百円を賜る〔『官報』第7194号「叙任及辞令」1907年6月24日。〕。
* 1907年(明治40年)11月12日 - 茨城県下行幸供奉〔『官報』第7314号「辞令」1907年11月13日。〕
* 1908年(明治41年)1月1日 - 免兼官、賜一級俸〔『官報』第7354号「叙任及辞令」1908年1月4日。〕
 * 12月17日 - 皇后宮職御用掛〔『官報』第7646号「叙任及辞令」1908年12月19日。〕
* 1911年(明治44年)5月6日 - 兼任 宮中顧問官、叙高等官一等〔『官報』第8360号「叙任及辞令」1911年5月8日。〕
* 1914年(大正3年)2月9日 - 薨去。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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