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日本の氏族。幾つかの流れがある。 #源姓久下氏。本項で詳述 #有道姓久下氏は、武蔵七党の一派児玉党の一族(久下塚氏も参照)。 ---- 久下氏(くげうじ)は、丹波国の国人領主。本姓は清和源氏。武蔵国大里郡久下郷(現在の埼玉県熊谷市久下周辺)を本貫地とする。源平の争乱で戦功をあげ、承久の乱の後に丹波国栗作郷(兵庫県丹波市山南町)へ移った。 南北朝時代、足利方として数々の戦功をあげた。また観応の擾乱の際、一時丹波にしりぞいた足利尊氏・義詮親子をよく守護し、その功として丹波を中心に武蔵国・飛騨国等に十数か所におよぶ所領を与えられ、丹波国の有力な国人領主となり、室町幕府の奉行衆もつとめた。 しかしながら、明応の政変で将軍足利義材についたことをきっかけに没落し、所領のほとんどを失い、後に義稙が将軍職へ復帰した後も旧領の回復は果たせなかった。最後は明智光秀の丹波侵攻によって領主の地位を追われた。 菩提寺として、埼玉県熊谷市に東竹院、兵庫県丹波市山南町に長慶院がある。 現在でも、兵庫県丹波市と篠山市に久下氏の一族が居住している。 == 居城 == 兵庫県丹波市山南町玉巻の八幡山にあった。久下城、玉巻城と称される。現在でも遺構が残っている〔久下城 〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「久下氏」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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