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久世家(くぜけ)は、村上源氏系の堂上家(新家)。家格は羽林家。家禄は200石。 久我家19代久我敦通の次男・通式が元和5年(1619年)に久我家領であった京都郊外の下久世村に所領を分与されて成立する。初代は久世通式で、細川忠興の長男細川忠隆の三女福姫が正室となった。通式-通俊-通音- と家督を継ぎ、22代を数える。代々近衛府の役に任じられ、通夏以後はいずれも権大納言に昇進した。 久我家から分岐した公家諸家としては、久世家の他に中院家、六条家、岩倉家、千種家、東久世家、梅渓家、愛宕家、植松家の8家がある。 8代目にあたる久世通煕は幕末に公武合体派として活躍し、万延元年(1860年)8月から慶応3年4月(1867年)まで(途中文久2年(1862年)9月から翌年12月を除く)にかけて議奏を務めた。 明治17年(1884年)に通煕の子・通章が子爵に叙せられる。通章は明治に衰退した蹴鞠の保護に尽力したことでも知られている。 ==系譜== ;実線は実子、点線(縦)は養子。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「久世家」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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