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久世重之 : ウィキペディア日本語版
久世重之[くぜ しげゆき]
久世 重之(くぜ しげゆき、万治2年(1659年) - 享保5年6月27日1720年8月1日))は、江戸時代中期の大名江戸幕府老中官位従四位下。官名は、はじめ讃岐守のち大和守。下総関宿藩第2代藩主、備中庭瀬藩主・丹波亀山藩主、三河吉田藩主、下総関宿藩(再封)初代藩主。関宿藩久世家2代。
関宿藩初代藩主・久世広之の三男。正室は大野藩主・土井利房の娘。子に暉之(四男)、広籌(五男)、広般(九男)、娘(松平康員正室)、娘(石川総慶正室)ら。
== 生涯 ==
重之一代のときに下総関宿藩千葉県野田市関宿三軒家)から備中国庭瀬岡山県岡山市北区庭瀬)ついで丹波国亀山京都府亀岡市)さらに三河国吉田愛知県豊橋市)へとめまぐるしく転封を続け、宝永2年(1705年)に再び関宿に復帰する。
幕府では45歳のときに三河吉田藩主時に寺社奉行に起用されたのを皮切りに、若年寄、ついで、下総関宿藩主になった翌年からの元禄12年(1713年) - 宝永4年(1720年)、老中を務める。この時期1万石を加増され、都合6万石となる。また、新井白石の学問の崇拝者として知られ、幕閣に味方の少ない正徳の治を側面から支持し、正徳金鋳造の責任者を担当している。
重之の死後、家督は四男の暉之が継いだ。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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