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久代義明 : ウィキペディア日本語版
久代義明[くしろ よしあき]

久代 義明(くしろ よしあき、1942年8月14日 - )は、兵庫県三田市出身の元プロ野球選手。ポジションは捕手一塁手外野手
== 来歴・人物 ==
三田学園高校から1961年阪神タイガースへ入団。
野村克也二世」の呼び声が高かったが、辻佳紀辻恭彦山本哲也谷本稔とライバル捕手が多く出場機会には恵まれなかった。打力には定評があり、1963年10月には一塁手として初の先発出場を果たす。阪神では一塁手として7試合に出場。1967年にはウエスタン・リーグの本塁打王、打点王の二冠に輝いた。一軍では1966年、1967年に最終戦で先発マスクを被る。
1968年サンケイアトムズに移籍、外野手も兼任し出場機会も増える。1969年加藤俊夫に次ぐ控え捕手となり、1970年には加藤の不祥事による欠場もあって、大矢明彦と正捕手を争った。しかし定位置確保には至らず。1976年限りで現役を引退。
その後はヤクルトコーチ補佐(1977年 - 1979年)、古巣・阪神で二軍バッテリーコーチ(1980年 - 1982年)、1983年には選手寮「虎風荘」の三代目寮長を務めた。1984年から西武ライオンズのコーチとなり、1992年まで務め、1985年には選手登録されている。これは、当時、ブルペンに入る捕手(コーチ、あるいはブルペン捕手)は選手登録が必要だったためである。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「久代義明」の詳細全文を読む



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