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久司 道夫(くし みちお、1926年5月17日 - 2014年12月28日〔New York Times obituary for Michio Kushi, January 4, 2015, 2015年1月5日閲覧 〕)は、アメリカ合衆国のボストンを拠点に自然食のマクロビオティックの研究、発展、普及に努めた。クシインスティチュートインターナショナル代表、久司財団会長、イーストウエスト財団会長、社団法人日本緑十字社社長。和歌山県新宮市出身。 == 概要 == 東京大学法学部政治学科卒業。同大学院国際政治学修了。 食養研究家・思想家の桜沢如一に師事したのち1949年11月にアメリカ合衆国へ渡り、コロンビア大学大学院政治学部に入学。アメリカ国内を起点としてヨーロッパ、日本などでも普及活動を行った。 1949年ごろから、食事をマクロビオティックの方向へ改めた〔桜沢如一 『千三百年前の一自由人』 日本CI、1968年11月。212頁〕。 1951年、アレクシス・カレルの『人間-この未知なるもの』を読み、人類の問題は食物と環境から起こることを再確認し、マクロビオティックの考え方に完全に呑みこまれたと述べる〔桜沢如一 『千三百年前の一自由人』 日本CI、1968年11月。210-211頁〕。 1960年代に、高島屋がアメリカに進出したが、レナウン創立者のすすめで副社長となって開店を手伝った〔『erewhon』9号、久司道夫事務所出版局、2003年7月。28頁〕。 1966年、ボストンに自然食品店エレホンを開店させるにあたって、訳語として natural food erewhon と看板に掲げ、そして natural foods という単語が世界中に広まっていった〔『erewhon』11号、久司道夫事務所出版局、2004年8月。46-49頁〕。自然食品店エレホンでは、有機農業を支援しながら有機食品を販売し、豆腐や味噌をはじめとしたあらゆる日本の伝統食品も販売していった〔『erewhon』2号、久司道夫事務所出版局、2001年8月。10-11頁〕。 1969年、自然食品店エレホンの支店をロサンゼルスに開いた〔『erewhon』9号、久司道夫事務所出版局、2003年7月。31頁〕。 1976年、ジョン・レノンが面会に来る〔『erewhon』9号、久司道夫事務所出版局、2003年7月。26-27頁〕。(ジョン・レノンとオノ・ヨーコは、1980年のPLAYBOYのインタビューで、食事はほとんどマクロビオティックだと応え〔PLAYBOY INTERVIEW JOHN LENNON AND YOKO ONO (英語) (''PLAYBOY'', January 1981) (john-lennon.com)〕、マクロビオティックの料理番組に出演したこともあった〔Macrobiotic Memories John Lennon & Yoko Ono (英語) (The Macrobiotic Guide)〕。) 1988年、世界保健機関の大会で「マクロビオティックによるエイズ治療」という講演を行った〔『erewhon』11号、久司道夫事務所出版局、2004年8月。28頁〕。 コンビニエンスストアのローソンの幹部がローソンを変えようとしたとき、幹部に健康指導をしたことがきっかけとなってローソンを変えるための指導をすることになり、これがナチュラルローソンにつながっていった〔久司道夫、船井幸雄 『豊かに生きるための「食べる健康」』 ビジネス社、2002年12月。ISBN 9784828410173〕。 1994年 「世界の平和と人類の健康に貢献した」として、国連著作家協会優秀賞を受賞 〔KUSHI Institute Japan 〕。 1999年アメリカで活動が認められ、米国国立歴史博物館「スミソニアン」に、久司道夫のマクロビオティックの代表的な出版物や資料がクシファミリーコレクションとして永久保存され、展示される 〔Macrobiotic food, 1990s (Smithsonian Institution Press)〕。 1999年 米国国家下院にて、久司道夫の業績を公認する決議が行われる〔KUSHI Institute Japan 〕。 長年マクロビオティックを実践していた夫人は癌によって死亡したが、がんを発見したとき、当初は余命3か月と診断されたが久司道夫のアドバイスにのっとった食事をはじめ、8年を生き延びた。 久司道夫本人も2004年に結腸癌を発症し手術を受けている〔The Macrobiotic Guide 〕 。しかし、久司道夫本人は高齢になっても世界各地を飛行機で移動し、一年の大半をホテルで暮らし、外食がほとんどで、マクロビオティックを実践できなかった。。 2007年 米国国会下院にて、生誕80年を記念して業績の顕彰決議が行われる。〔KUSHI Institute Japan 〕 2014年12月28日、ボストン市内の病院にて死去。享年89歳。死因は膵臓癌〔訃報 2015年4月17日閲覧 〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「久司道夫」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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