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久野剛司 : ウィキペディア日本語版
久野剛司[ひさの たかし]

久野 剛司(ひさの たかし、1943年5月21日 - )は大阪府出身の元プロ野球選手
==来歴・人物==
八尾高校では、1年生エースとして1959年夏の甲子園に出場。準決勝に進むが、優勝した西条の金子哲夫投手(阪神)に抑えられ1-5で敗退。卒業後は同志社大学に進学。関西六大学リーグでは1964年秋季、1965年秋季と2度のリーグ優勝に貢献、1シーズン9勝を2回記録するなどエースとして活躍した。リーグ通算70試合に登板し、33勝16敗、防御率1.52、188奪三振。1965年春秋連続で関西六大学記者クラブ賞を受賞した。
卒業後、河合楽器に入社が内定していたが断り、1965年阪神タイガースドラフト5位で指名され入団した。1年目に自己最多の38試合登板し、初勝利完封で挙げた。しかし、翌年は一軍登板が無く、それ以後も多くても年で10試合程度にしか登板していない。1970年のシーズン中に西鉄ライオンズに移籍。1971年オフに引退した。カーブとシュートのコンビネーションが持味。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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