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九四式飛二号無線機は、大日本帝国陸軍の開発した対地上通信用の航空無線機である。短波および中短波を使用し、最大対地電信距離は十号無線機と対向して約600kmである。十一号無線機と対向すれば約30kmの距離で電話通信が可能だった。全備重量は約50kg。昭和10年12月に仮制式の上申が行われた。 == 開発経緯 == 昭和6年度から審査を開始。この中距離飛行機用機材は短波および中短波を使用し、電信通信距離は十号無線機と対向通信し150km、放送300km、重量約50kgを目指すものだった。 昭和7年度中に通話機能の追加、対地送信500kmとなるよう審査要件が変更された。対地受信もこれと同程度となるよう研究が行われた。同年6月から8月、試作機を試験し改修。さらに下志津陸軍飛行学校で初期の性能を持つことが確認された。十一号無線機と対向した場合には空地間距離20kmで電話通信が可能であり、30kmでの通話も可能だった。十号無線機と対向した場合には70kmの距離で電話通信が可能だった。変調器を改善することで通信能力の増強が見込まれた。 昭和8年2月、満州北部で冬期試験を実施した。電気的機能になお改善の必要があったが距離500kmでの空地間通信が可能だった。電源を除き、外気温に対して特別の処置を講じる必要はなかった。 昭和8年度には以下のように審査要件が修正された。短波または中短波を使用、重量約50kg、十号無線機と対向し通信距離500km、十一号無線機と対向し約30kmの電話通信が可能であることである。また爆撃機への搭載用にも研究された。昭和8年4月には飛行第七連隊の重爆撃機に十五号無線機を搭載し試験した。周波数帯の選定によっては距離1,000kmで実用通信が可能だった。7月には型式を確定した。 昭和9年初頭、満州北部で試作機を試験。性能は概ね良好、受信機の感度が良好、取扱いが容易と判定された。ただし一部試験は実施できなかった。昭和9年中に審査要件が変えられ、対地電信送信距離が600kmに延長された。昭和9年7月には乾電池と蓄電池を廃止し、8月から10月には初期の性能を持つことが確認された。 昭和10年3月、短期に製造可能なことが確認された。11月には仮制式制定が容認され、12月に上申が行われた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「九四式飛二号無線機」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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