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九州新幹線(長崎ルート)(きゅうしゅうしんかんせん ながさきルート)は、福岡市と鹿児島市・長崎市を結ぶ整備新幹線計画(九州新幹線)のうち、福岡市(博多駅)と長崎市(長崎駅)を結ぶルートを指す。 国の整備計画では「九州新幹線(長崎ルート)」という名称だが、建設を行う鉄道・運輸機構や地元の長崎県、佐賀県は長崎ルートではなく「九州新幹線(西九州ルート)」という呼称を使用している。また、「九州新幹線」という呼称で既に営業されている鹿児島ルートと区別するために単に「長崎新幹線」とも呼ばれることがある。 博多駅 - 新鳥栖駅間は鹿児島ルートと路線を共有し、新鳥栖駅 - 武雄温泉駅間は在来線を活用。武雄温泉駅 - 長崎間はフル規格の新線で、軌間の異なる在来線(狭軌)と新幹線(標準軌)を直通できる軌間可変電車(フリーゲージトレイン)を導入して2022年度の開業を目指していたが、軌間可変電車の開発が大幅に遅れ、2022年度までの量産化が間に合わないことが問題となり、2022年度の時点では在来線と新幹線を乗り継ぐ「リレー方式」で暫定開業することとなった。 == 概要 == 基本計画は1972年(昭和47年)12月に決定されたが、経由地公表の前にその後の第一次石油ショックで凍結。1978年(昭和53年)に当時放射線漏れ事故を起こした原子力船「むつ」の修理を行う港が見つからず同船が「漂流」していた際に同じく当時経営難に陥っていた佐世保重工業の救済ともからめて修理を佐世保港で受け入れる代わりに佐世保市経由の長崎新幹線を建設する、という「念書」が存在する、と地元では語られてきた(もっとも、確認はされていない)〔月刊「財界九州」2008年2月号「FROM EDITOR」欄〕。その後、1985年(昭和60年)1月に早岐経由のルートが公表された。ただし、当時の国鉄、その後のJR九州は共に「採算性に乏しい」として計画に消極的であった。現在の武雄温泉からの短絡ルート並びにスーパー特急方式での整備を提案したのは当時の佐賀県知事の井本勇であり、1991年(平成3年)11月のことだった。 計画時から「長崎ルート」と呼ばれてきたが、2005年(平成17年)10月に佐賀県・長崎県は独自に「西九州ルート」へと名称を変更した。これは「長崎ルート」表記だと長崎県がことさら強調されるため、同じく影響を受ける佐賀県民に配慮する形で名付けられたものである。JR九州も自主的にこれに対応し、「長崎ルート」の名称は併記される形となった。政府・与党・法令上の名称は引き続き「長崎ルート」の呼称を用いている。 * 佐賀県内のマスコミでも対応が分かれており、例えばテレビではNHK佐賀放送局は「長崎ルート」をそのまま使用しているのに対し、地元唯一の民放テレビ局であるサガテレビは「西九州ルート」を使用する。また、地元紙の佐賀新聞社は「長崎ルート」、ブロック紙の西日本新聞は「西九州ルート」と分かれている。 * 同様の事例は全線開通前の長崎自動車道でも生じており、長崎県内区間は「長崎自動車道」、佐賀県内区間は「九州横断自動車道」と呼んでいた〔九州横断自動車道は長崎自動車道と大分自動車道を合わせた国土開発幹線自動車道としての路線名でもある。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「九州新幹線 (長崎ルート)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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