翻訳と辞書 |
九条基家[くじょう もといえ]
九条 基家(くじょう もといえ)は、鎌倉時代中期の公卿・宮廷歌人。摂政太政大臣・九条良経の三男。 == 経歴 == 九条良経の三男として生まれる。幼名は鶴殿。幼くして父・良経が病死したことから、後鳥羽上皇が自分の猶子として内蔵頭・藤原忠綱に養育を命じ、また外祖父の松殿基房も彼に公事に関する故実を伝授した。 摂関家出身のため建保3年(1215年)正五位下に直叙され、侍従に任ぜられる。同年中に従四位下・右近衛中将に昇進。建保5年(1217年)従三位に叙せられ公卿に列すと、建保6年(1218年)正三位・権中納言、承久元年(1219年)従二位、承久2年(1220年)権大納言、承久3年(1221年)正二位と、摂関家の子弟として順調に昇進する。 寛喜3年(1231年)権大納言のすぐ下の序列であった右近衛大将・西園寺実氏が基家を越えて内大臣に任ぜられたためか籠居する。摂政の子にして母は関白の娘、兄は現任摂関という出自に加えて、歌道に対しても並々ならぬ意欲で取り組んだ基家にとって、看過できない人事であったと考えられる。 嘉禎2年(1236年)大納言、嘉禎3年(1237年)末にようやく内大臣に昇進する。翌暦仁元年(1238年)上表して内大臣を辞した。以後、薨去するまで出家せず「前内大臣」として歌壇で活躍した。なお、ライバルとも言える衣笠家良よりも先に内大臣となったため、内大臣を辞してからも序列は常に家良より上であった。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「九条基家」の詳細全文を読む
スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース |
Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.
|
|