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九頭竜ダム(くずりゅうダム)は、福井県大野市、一級河川・九頭竜川水系九頭竜川に建設されたダム。かつては長野ダム(ながのダム)といった。高さ128メートルのロックフィルダムで、洪水調節・発電を目的とする、国土交通省・電源開発(Jパワー)共同管理の多目的ダム(兼用工作物)である。ダム湖(人造湖)の名は九頭竜湖(くずりゅうこ)という。 ==歴史== ===計画=== 九頭竜川は、福井県と岐阜県との境・油坂峠に端を発し、大野盆地・勝山盆地を経て福井平野を形成し、日本海へと注ぐ河川である。流域は降水量が多く、冬は豪雪であり、河川流量も豊富にある。しかし、九頭竜川上流部における開発は長らく実現を見ずにいた。当地が僻地であるという地理的要因から、開発のための資材を搬入する手段が見つからなかったのである。1957年(昭和32年)、北陸電力・電源開発の2社は競合するかたちで開発計画を発表した。前者は有峰ダム開発を、後者は御母衣(みぼろ)ダム開発を一通り終えたのち、次の開発地点として九頭竜川に着目していた。両社とも大野郡和泉村(現・大野市)に大規模な発電用ダムを建設し、それを中心に周辺へと開発の手を広めるというものであった。ただし、細部については以下に示す通り、大きく異なっていた。 ;電源開発案 :九頭竜川に長野ダムを建設し、九頭竜発電所・葛ヶ原(くずがはら)発電所・勝原(かどはら)発電所に送水し、合計最大34万7,000キロワットの電力を発生する。 ;北陸電力案 :九頭竜川に長野ダムを、支流・石徹白川(いとしろがわ)に後野(のちの)ダムを建設し、両ダムを水路で連結。後野ダムから湯上(ゆがみ)発電所・西勝原第三発電所に送水し、合計最大25万キロワットの電力を発生する。 その後、両社共同による調査が始められたが、計画を一本化するにあたっての調整は難航していた。こうした動きは福井県政にも波及し、福井県議会は地元企業である北陸電力を支持する一方、地元・和泉村議会は電源開発案の方が発電所の出力が大きく、電気事業ひいては日本経済に、より大きく貢献できるとして電源開発を支持し、県議会と対立した。電力業界は九頭竜川開発計画に関する技術委員会を共同で設立し、電源開発・北陸電力両社の計画を比較・検討し、一定の見解を示した。さらに、通商産業省(通産省、現・経済産業省)は北陸電力が今後火力発電の比重を高めることに着目し、揚水発電を導入するよう付け加えた。 そんな中、1959年(昭和34年)に伊勢湾台風が九頭竜川流域にも大きな被害をもたらした。建設省(現・国土交通省)はダムの洪水調節機能による九頭竜川の治水を図ることを計画し、電力会社の開発に治水の目的を加えた九頭竜川総合開発事業としてまとめられた。計画の最終案は以下の通りである。 *長野ダムは、越美北線や鉱山が水没することを避けるため建設地点を当初の湯上地点から上流の長野地点に移転し、高さも125メートルから128メートルに変更。長野ダム直下に長野発電所を建設し、揚水発電を加味した結果、出力を22万キロワットに設定した。下流には揚水発電の下池兼逆調整池として鷲ダムを建設する。 *鷲ダム下流で九頭竜川に合流する石徹白川の水も有効利用するため、石徹白川上流に石徹白ダムおよびいくつかの取水堰を建設し、取り入れた水を長野ダムに送水する。石徹白ダムで取りこぼした水は、下流の山原(やんばら)ダムで取水し、鷲ダムからの水と合わせて湯上発電所に送水する。 *湯上発電所の下流に仏原ダムを建設し、西勝原第三発電所に送水する。 施工区分については、長野発電所・湯上発電所(長野ダム・鷲ダム・石徹白ダム・山原ダム・その他石徹白川渓流の取水堰を含む)を電源開発が、西勝原第三発電所(仏原ダムを含む)を北陸電力が担当することに決まった。 Image:Itoshiro Dam.jpg|石徹白ダム Image:Yanbara Dam.jpg|山原ダム Image:Yugami power station.jpg|湯上発電所 Image:Nishikadohara III power station.jpg|西勝原第三発電所 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「九頭竜ダム」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Kuzuryu Dam 」があります。 スポンサード リンク
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