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九鬼 隆昌(くき たかまさ、正保4年(1647年)- 寛文9年6月28日(1669年7月25日))は、摂津三田藩の第2代藩主。九鬼家宗家3代。 正室は池田輝澄の娘。子に娘(九鬼隆律正室)。官位は従五位下、長門守。 == 生涯 == 正保4年(1647年)、初代藩主九鬼久隆の長男として三田で生まれる。幼名は孫次郎。慶安2年(1649年)、父の死去により跡を継ぐ。江戸城本丸普請の手伝い、朝鮮通信使の接待役、火消し役、京極高国改易後の宮津城在番などを務めた。藩政においても家臣の新規召抱えなどの藩政整備を行なったが、寛文9年(1669年)に23歳で死去した。跡を婿養子の隆律が継いだ。法号は清涼院。墓所は兵庫県三田市西山の心月院。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「九鬼隆昌」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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